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「拓く 福島泰蔵正伝」読後感に輝きを感じる人達その5ー自衛隊で培った財産を今に活かす山口八郎氏 [名リーダーを思う]

始めに

 山口八郎氏は「拓く 福島泰蔵大尉正伝」を読んで、福島大尉の為すべきと信じることの断行に自分の生き方「自分が口にしたことの責任は自分がとる。本気で向き合うことで人や事態が動く」を重ね、大共感したという。その大共感は私が感じる”輝き”そのものである。以下ブログ晴耕雨書「山口八郎氏の銃剣道に魅せられた人生を思う」と聞き語りなどにより大共感=輝きの様を語りたい。 

 山口八郎氏の体感

 大共感に関わる特徴的な体験として以下の5つを挙げたい。

①銃剣道合宿訓練での懇親会で、団本部の偉い幕僚から後方地域で建設作業を主にする当施設科部隊に銃剣道はいらない。普通科に任せておけばよい、と言われた。これに対し宴席ではあるが譲れないと思い、後方地域に敵の空挺降下があった場合、建設作業中の施設科部隊は携行する小火器で戦わねばならない。白兵戦となれば銃剣格闘である。よって銃剣道は必要と答えた。これを聞いていた団長が山口が正しい。山口の思うようにやらせろ、と裁定を下した。

②自分が教官として団の要員を集めた、団長から命ぜられた合宿訓練中に父が死亡し休暇帰省した。復帰後隊員が動揺していた。担当中隊の上級部隊長(群長)から全部隊(群)挙げての重要訓練(行軍)に参加するように厳命されたのが原因だった。団長から命ぜられた訓練であるにも関わらず了承を得ないで変更することはいかがなものか、全日本大会で勝つという目標に向かっての中断は許されない、と自分の直属上級部隊長(群長)であったが直談判し、撤回して貰った。

③某部外工事隊長の時、該市の体育館で事前に計画した銃剣道訓練を行わせていたところ某新聞紙上に見当違いの報道をされ、事情を知らず驚いた近傍部隊長から(迷惑だと)咎められた。命令権者の団長に状況説明を行うこととなり、的外れであること、部外工事の受託目的に照らし訓練目的に適っていること及び関係者の了解を得ていること等を説明した。了解して貰い件の部隊長も納得した。

 部外工事は自治体からの申し出を受け、訓練目的に適う場合に受託し、工事の特性に応じ作業隊を編成する。宿舎や工事用燃料等の提供を受け、泊まり込みで行う場合が多く、作業隊長は工事の円滑な進行と竣工のほかこの場を活用した教育訓練、地元との折衝や生活指導などすべてにおいて責任を持つ。このため経験を積ませる狙いで若手の幹部や特に工事や訓練や服務など万般に造詣の深いベテランの准曹が任命される。勿論山口八郎一曹(当時)は第5施設団でも有名な後者であった。

部外工事が出てきたところで施設科の本分である工事面の力量発揮の例を挙げたい。

④昭和36年9月18日、第6師団から方面総監部を通じ第2施設団(宮城県柴田郡柴田町船岡)に王城寺原演習場の滑走路を10月1日からの師団演習で使えるようにして欲しいと要請され、特に自分が命ぜられて偵察した。期日(9月30日)までに完成させるためには昼夜連続3交代の作業が必要と見積、2曹の自分が隊長で直ちに作業に取り掛かった。開始後特科連隊から師団演習に先立ち固定翼機による航空観測等の事前訓練をしたいという強い要望が直接あり、当初は歩み寄りの余地なしの状況であったが相手の本気が分かり何とかしようと、離発着に伴う3度の作業変更を予備(天候等による遅延想定)日の前倒しで吸収し両者満足の結果を得た。演習終了後この対応を高く評価した第6師団は方面総監部を通じ第2施設団長に通報し、団長から4級賞詞を受賞した。

⑤昭和53年7月から9月、南関町町民運動場造成工事の作業隊長(当時准尉)を命ぜられた。作業間に大雨で、すぐ下の国道の上流側の広い地域に50㎝程の水たまりと逸水が生じた。国道の下に埋められた排水溝(ヒューム管直径1m、長さ10m)の詰まりが原因であった。隊員から自衛隊の仕事ではないかもしれないがつまりを取りましょう、との意見具申があり、検討し着手した。先ず下流側から隊員がパンツ1枚で潜り込み手作業で土砂を掻き出した。進行状況を把握し、水漏れ(詰まった土砂が水圧で一挙に流下し隊員が巻き込まれる兆候)や怪我等の危害防止に最大の留意を払いつつ作業を進めた。8.5mほど進んだ時点で、上流側からの作業に切り替えた。今度は水に潜りながら、詰まった土砂に穴をあけ、少しずつ土砂水を流して穴を拡げ、貫通した。作業する隊員を危険物で傷つけないよう、隊員が水圧・土砂圧でヒューム管内に引き込まれないよう最大限の注意を払い無事この作業を終えた。後日引き渡し式で町長はこの作業を見ていた町役場の者が自衛隊がこんなに頑張っているのにこれで良いのかと実施中のストライキを中止し住民サービスに服した旨の自衛隊への感謝の思いを語った。私の関心が銃剣道に偏っていたきらいがあった。最後にこの話を聞いて私の胸に篤いものが込み上げてきた。

続く

本稿はブログ「福島泰蔵大尉の実行力を訪ねて」にも投稿しています。
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「拓く」読後感に輝きを感じる人達その4ー俳句と書で新境地を拓いた友 [名リーダーを思う]

始めに
 前稿の集いの際、輝きを感じた二人がいた。稿を改めてそのことを語りたい。

俳句で新境地を拓いたNH君
 
 話題は巡りNH君から貰った年賀状に及んだ。「初暦 まだ見ぬ日々の 佳かれかし」だ。昨年は「独り居の 三歳(みとせ)となりぬ 明けの春」であった。まず昨年の俳句。この年から年に一度の近況報告の添え書きは俳句一首に改めた由。彼の身上、奥さんに先立たれ、お義母さんも逝って三年過ぎ、勿論子供は独立して独居老人?の生活、という事情を知るがゆえに侘しさや寂しさの中で迎えた正月に精一杯ハレを込めているな、と受け止めた。ところが二回目となる今年の俳句は見事に澄み切った心境でハレを楽しみ明るく前へ、を詠っている。本人は俳句三昧の生活だから、としか言わないが、その詠んだ「句境」と言い、年に一度の近況報告として沢山の中からこの一句を選びだした「選境」と言い新境地だ、と感じた。会って話すことで素晴らしさが肌感覚で伝わって来た。

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書の道で新境地を拓いた山保 櫻華さん
 
 山保さんの近況にも話が及んで、その作品(写真)を見せて頂いた。昨年の書燈社展での、毎日書道展審査委員になって初めての出展作、縦6尺横8尺の大作である。すべての方に感謝の気持ちを伝えたくてこのテーマにした由。透かしに薄く”感謝”の2文字が浮かんでいる。この書から伝わってくることが二つある。一つは毎日書道展審査委員という思ってもみなかった”光栄”に至るまでには実に多くの方のご指導やお世話を頂いた。このことに対し、先ずは”感謝”からスタート、という気持ち。二つはこれからも自分らしく、お弟子さんと励まし合って書の道に精進し、期待に応え、恩返しをしたいとの決意である。簡単には踏み入れることが出来ない道に臨む新境地を拓いた、と感じた。

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本稿は晴耕雨書「福島泰蔵大尉の実行力を訪ねて」にも投稿しています。
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第2施設群創立63周年記念行事、銃剣道競技会に思う [名リーダーを思う]

始めに

 表記行事(H30.3.21)に参加した。中隊対抗の団体戦、個人戦と行われた。次第に熱気や迫力に引き込まれ、現役の頃を思い出し、篤くなった。頼もしさとエールを贈りたい気持ちと次々にストーリーが湧く、最高に楽しい一日であった。その様を語りたい。

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お父さん凄い!

 団体戦はメンバーは7名または9名で大将は各中隊共に中隊長であった。私には苦い思い出が蘇った。群の大会で各中隊大将は「幹部」との規定で私がなった。ある中隊との戦いで、大将戦にもつれ込み、ものすごいプレッシャーの中敗れた。中隊員の声にならないため息を感じながらの退場に悔しさが倍増した。今回大将戦にもつれ込んだ試合、304坑道中隊対本部管理中隊、があり注目した。両者中隊の名誉を掛け善く戦い、本部管理中隊長S一尉が勝った。よく見ると観客の女性と幼子二人が無邪気に一生懸命応援し、勝利を喜んでいた。奥様が5人の子のうちの下の2人を引き連れ応援に駆け付けていたのだ。子供たちにとっては勝ち負けよりも堂々と敵と戦い自分と戦うお父さんが限りなく頼もしく誇らしく思えた、に違いない。
多分S一尉は「お父さん勝ったよ!応援のお陰だよ!」と心の中でつぶやいたに違いない。そして敗れたKI一尉に対し「少年工科学校の先輩に花を持たせてくれた」と思ったか、どうか?

 
意地でも全勝はさせない

 団体戦で全勝する人は何名か?に関心を持った。2ケ会場同時進行ではわかりにくいので大将に着目した。大将が全勝のまま最終試合を迎えた367中隊は304坑道中隊と対戦した。前述のkI一尉、いずれの場合も私からすれば脇焦点の人、が意地を見せKN一尉の全勝はならなかった。KN一尉は本館中隊長S一尉に勝っていた。3者の意地の張り合いを感じた。
団体戦での全勝者は6名(367中隊H士長・K士長・O3曹、368中隊K1曹、401中隊A士長・T3曹)であった。

鋭い剣を振るう人に注目
 
 いつの間に剣の鋭い、しなやかな選手数名をマークし始めた。もっと多いはずと思いながら同時並行の競技に目が追い付かなかった。勝ち上がった人も敗れ去った選手もいたが個人戦優勝(幹・曹の部)のk3曹は見込み通りで嬉しくなった。マークした数名及び団体戦全勝者を含め、全日本クラスの資質を更に磨き、第2施設群の名を全国に轟かせて欲しい。

幹部は個人戦に出場

 団体戦の大将以外に個人戦(幹・曹の部)に若手の幹部、出れるものは全員、が出場していた。実力者そろいの曹に交じっての戦いはきついものがある。しかしその爽やかさ・潔さは何より群のカンフル剤になったはず。そして真剣に戦うことで学び身に着くものも多く、きっと将来役立つ得難い経験になるであろう。任官したてのY3尉が準優勝した。陸曹時代のとことん突き詰めた銃剣道の”道”に誤りはなかった、努力は裏切らない。大したものと敬服した。

 紅一点

 本部管理中隊O2曹が女性自衛官ではただ一人出場しており、彼女の戦いに注目した。各試合善戦した。将来の女性活躍の方向性を示していることは間違いない。意欲と実力に敬服した。

栄誉を讃える

団体戦ー優勝367施設中隊。
個人戦ー幹・曹の部優勝k3曹・準優勝Y3尉、陸士の部優勝K士長・準優勝A士長

終りに
 
 銃剣道はスポーツであると同時に自衛官にとっては武の心、「顧みない」心を磨くに相応しい戦技である。第2施設群は「顧みない」心を発揮して昨夏の北九州豪雨災害や東日本大震災、南スーダン等のPKO活動で責務を完遂し国民の負託に応えてきた。この第2施設群が記念日行事で銃剣道競技会を行う意義は極めて大きいと感じた。私が「顧みない」心が武臣(もののふ)の心の象徴であることにたどり着いたのは15年余の福島泰蔵大尉研究【「拓く 福島泰蔵大尉正伝」上梓】の「感応と共振】のお陰である。

追記

 施設が銃剣道を行う意義に関連して付記したい。郷土部隊である旧陸軍第56師団のビルマ方面の作戦で玉砕したらもう(孟)・謄越・平戞3ケ守備隊を支える扇の要に位置した龍陵守備隊は逸出してくる敵大部隊を歩兵部隊も指揮し阻止し持ちこたえたがその指揮官は小室中佐、第56工兵連隊長であった。このことも今私の心に強く浮かんでいる。これは小郡駐屯地での講話を機に広報室からお借りした「魂は甦る」(土生甚吾著)からの感想である。この件については思うところがあり、稿を改めて書きたい。

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「拓く」読後感に輝きを感じる人達その3ー「第四木曜日の読書会」世話人、読書の達人浅井輝久先輩 [名リーダーを思う]

始めに

  表記読書会が100回を区切りとして閉会した。御案内を頂きこれは万難を排し行かねばと出席した私は深い感動を覚えた。その様を書きたい。

顛末

平成15年2月の第四木曜日に発足し、じらい2ヶ月に1回のペースで開催し、本年3月4日、区切りと思い定めたご本人の意向で、最後を迎えた。会設立の趣旨は「月に1冊本を読む。できなければ、読んだ人の感想を聞く、本の大好きな人の集まり」、世話人の浅井輝久先輩は防衛大卒、元第3師団長。会を重ねながら次第に充実した。読書会が人を呼び人が人と繋がって、幹部学校指揮幕僚課程の学生二個学年の「青」、現役の自衛官・民間有志の「壮」、OBの「老」という構成でしかも常時10数名程度という少人数で刺激しあう願ってもない形が出来上がった。

読書会の作法

 読書会には独特の作法があり、発表者は発表のほぼ2ケ月前迄にテーマ書(書名・著者・出版社・出版年・何刷)を連絡、テーマ書は自由。ほぼ1ケ月前迄に発表概要(500~600字の案内文)を作成。発表はレジメ(A4で3~4枚)により1時間以内。発表後ほぼ1時間程度の質疑と討論、その後席を移して懇親会。発表後概ね1週間を目途に例会録を纏める。例会録の構成は、①『そもそも、この本には何が書かれているか』が読んでいない人にもわかることを基本として整理(A4で2枚程度)。②読書会での議論の要約(世話人)。③『私の百字提言(発表者)』・『木曜人の百字箴言 (世話人)』からなる。
 世話人浅井先輩は会をデザインしその実現に関わる運営・進行等を行った。特に上記作法や発表者のフォローに関わること及び案内書の作成、読む余裕がない会員のためのテーマ書を要約した「粗読」の作成・配布、例会録を作成した。

第100回の様子

 14時から16時の間、テーマ書『LIfE SHIFT 100年時代の人生戦略』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著 池村千秋訳)を62期指揮幕僚課程学生山下敦史1尉が発表し、参加者(30名)が所見を述べた。必要性を強く認識し、世代間での受け止の差を始めとした多様な意見や学びについての声が多かった。続いて懇親会に移った。場内には読書会の余韻に浸った意見交換や歩みを懐かしみ閉会を惜しむ声が飛びかい浅井世話人の労苦への感謝の意が満ちていた。

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本好きをとことこん極めたあゆみから見えてくるもの
 
① 2ヶ月1回のペースで作法を守り、100回、15年余続けるということは生易しいことではない。私の少ない参加経験で世話人浅井先輩の仲間と共に読書を楽しみたいという強い思いとこれからの日本を托す有意の人材の修養を読書で手助けしたいという篤い志が伝わって来た。②発表者は世話人とのやり取りの中で読書の作法も学ぶ。特に発表者100名の半数(50名)を占めるCGS学生にとってこの場は読む・要約して書く・発表する・討論を纏める等の学びも含めて経験のすべてが無形の資産となったはずである。③この読書会から巣立った「青」の学生が将来とも読書による自己啓発を続け日本の中枢で活躍する。中には新しい読書会の種を蒔く人も出て来るかもしれない、この夢が実現の暁には世話人浅井先輩としては大本懐であろう。④100回積み上げた「例会録」等の読書作法の記録には読書離れが進む中、読書のノウハウと価値が詰まっている。事後への貴重な無形資産である。

読書の達人浅井先輩

 私は浅井先輩に読書の達人という呼び名を呈したい。今までいろいろ書いてきたように読書会にお誘いを受けこの機会を最大限活かし(人生最後に一冊の本の出版を前提に)これが福島大尉だ、の決め手を探そうと思った。浅井先輩からは読書会の作法を逸脱しそうになる私の方向性も理解して的確な示唆を頂いた。その懐の深さに安らぎさえ覚えた。発表9ヶ月後に本書「拓く」の原稿ができ出版社もOKとなり、原稿を見ていただいたところ編集者そこのけの厳しく暖かい指導(考え方)を頂いた。そして出来上がり、紹介文(偕行記事・平成29年11月号)を書いて頂いた。映画「八甲田山」の徳島大尉(福島大尉モデル)を魂を込めて演じた高倉健さんに私がなりきり「拓く」を書き、塾者福島大尉を蘇えらせたと評して頂いた。塾者とは立見師団長が不覚の思いで福島大尉を評したきわめて強い意を込めた褒め言葉である。立見師団長の不覚の回顧は本書「拓く」でもっとも私が力を込めたところである。そこをズバリ衝いた批評に私は感極まった。私は浅井先輩にこそ塾者が相応しいと思った。一連の出版に関わる薫陶からも迷いは全くなかった。ただ立見師団長が目下(めした)の福島大尉に使った「塾者」を私が浅井先輩に使うのは恐れ多い。なので達人と言わせて頂く。


本大好きを極めたその先
 
 「第四木曜日の読書会」という自ら担いだ荷物を下ろし、いよいよ人生の仕上げに掛かられる由。『締め切りのない原稿は書けない』という言葉もちらりと聞こえた。何をかは分からないがこの15年間は、回り道かもしれないが、きっと次なる作品の重みをいやますに違いない。願わくば最初の購入読者になりたい。それまでは元気で生きたい。有り難うございました。

尚本稿はブログ「福島泰蔵大尉の実行力を訪ねて」にも投稿しています。



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「拓く」読後感に輝きを感じる人達その2ーしんか(深化・進化)無限(と思われる)のフォットライフ道 [名リーダーを思う]

始めに

 前稿の太田征男君を囲む会でのこと。黒溝台会戦での28日の決戦時、総予備福島中隊が投入され愈々戦場に向かうという場面で、福島大尉は全員に訓示をした。その訓示についてKH君が凄いね、・・・と語った。その時、太田君は持参していた「拓く 福島泰蔵正伝」をバックから取り出し該頁を開き、読み始めた。宴たけなわであったが、全員が聞き入った。私もこのくだりになるといつもそうであるが、激情が込み上げてくる、その激情をおさえつつ聞き入った。最後の最後に投入される決戦予備としての大命を果たす、黒溝台一番乗りを果たすという使命・任務や部下に向き合うひたむきさ・篤さに私の心が震えてしまうからである。KH君と太田君の不意の連係プレーは震える心の共振という気がした。
 
 今回の輝きを感じる人はしんか(深化・進化)無限(と思われるぐらい) のフォットライフ道を只管(ひたすら)歩み続ける太田征男君である。
 
 私の関心 

 翌日、太田君が午後の東京へのフライト搭乗のため、ホテル出発前のひと時、北九州市内八幡西区のホテルロビーで話を聞く機会を持った。最近のデジブックの興趣が目覚ましくしんか(深化・進化)していると感じたのでそこを聞きたかった。ブログ「晴耕雨書」の「太田征男君のデジブック春のコンテスト入賞を思う」稿で取り上げたデジブック「春色のときめき」以降花は勿論風景・イベント・夜景・花火・イルミネーションと多彩に拡がり、花火は花火自身の美から造形の美、造形はより時間的空間的拡がりの美へと成長し続けている。拡がる中に常にはっとさせるものがある。75歳にしてこの輝き、しんか(深化・進化)させ続けているものは何かを知りたい。
  

ひたむきさ

 太田君は画趣が多彩に拡がった、・・・という私の問い掛けに対し、プロの先生についてしっかり学んだ、特にEOSの中島剛先生に2年間みっちり基礎を教えて頂いた。それが大きかった。それを土台としてプロの先生方に技を習い積み上げた。それと共に自分の関心ももっともっと、と拡がった、と経歴を辿りながら話してくれた。その経歴は以下の通り。

 EOS学園で平成10年7月から15年5月までの5年間、プロの技術を学んだ。中島剛先生からは基礎を2年間講座でみっち学んだ。並木隆先生の「花」と、工藤智道先生の「夜景」、いだよう先生の「ネイチャーフォット」などの講座を学んだ。16年5月以降、17年6月の間、山田久美夫先生の「ふわっとした花」、斎藤裕史先生の「アートな花火」、斎藤裕史先生の「花をふんわり撮ろう(ダリア・コスモス編)」、岩崎拓哉先生の「工場夜景」、斎藤裕史先生の「イルミネーション・花火」等の応用(特化したテーマ)講座を学んだ。

 参照:ホームページ:写楽の写真館(旧題:愉快な仲間と写真館)
(URL:http://members3.jcom.home.ne.jp/yukio-ota/)のプロフィール

以上を聞きながら基礎が身に着きレベルが上がればもっと身に着けたい、学びたい技が増える。身に着けば更なる境地を目指したくなるというスパイラルが出来る。その中でカメラと被写体と作品に向き合い、自分が腕を上げ、納得する写真を撮りたいと精進してきた。そのひたむきさが伝わってきた。そのひたむきさは先生や写友等との関わりを過ぎ去るにまかせるものからより強いもの即ち絆(後述)にした。

絆を思う気持ち
 
 経歴の語りの中で、絆を大切にし、絆を楽しんでいる太田君に気が付いた。沢山あるが以下の二つの話題からそこを説明したい。

 デジブック仲間のマドンナさん上京のお話

 マドンナさんが登場したところで、私は??と問いかけた。すると、お互いにリスペクトしあう関係だけどこの前大阪から上京してきた時(1月22日、大雪)、初めて会う機会を作り、丸の内界隈をプチ撮影会をした。マドンナさんの上京の本来の目的は劇団九州男の座長大川良太郎の夜の部の公演観劇にあった。 太田君はこれにも付き合い「大川良太郎は39歳の惚れ惚れする綺麗な役者でした。立ち役も女形も素敵でしたよ。」とのコメント。「雪が予想されていたので、ストロボを用意しておきました。お陰で、発光させていい雰囲気の雪景色の東京駅の写真が撮れました。彼女にもストロボを貸してやりましたが流石に良い写真が撮れていました。」とのコメントも。以下は太田君が同行撮影した写真
 
 00008914_1 (002)雪の東京駅縮小.jpg

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 同好の仲間としての連帯感に加え謙虚に学び教え合い更に思いやりの気持ちも込める。思いやりは絆を強くし、その強い絆は太田君の喜びであった。 

 おふく会のお話

 サンウエーブ(現LIXIL)を定年後も嘱託として7年間務めた同社の新宿ショールームの当時のメンバーでおふく会(飲み会、会場はおふく(巣鴨、店主は東筑59期大田尾君))を毎年行っている、と嬉しそうに語るが実は真面目な努力が報われている面もある。新宿ショールームでは女性のコーディネーターと一緒にお客様に対応し、主に、現役の時の経験を活かして技術的なアドバイザーとしてお客様の質問に答えたり、コーディネーターを指導していた。そういった中で文字化して具体的に残そうと「キッチン豆知識」(およそ50~60回のシリーズ冊子)を作成し後輩が何時でも読んで勉強出来るようにした。内容的にはキッチンに使われている色んな材料の基礎知識やガスコンロ、IHヒータ、等々の仕組みなどの技術資料が中心であった。
 
 「キッチン豆知識」の作成には(経験不足の)コーデネーターがいつでも読め、読めばお客様対応を頼らずにできるようにという自分は控えめにして自発を促す太田君の思いやりが籠っている。年を経ても変わらぬ会社への帰属意識を仲間と共有し仲間を思いる。そこから強い絆が産まれ、その絆が太田君の喜びであった。それが良く表れているのが以下の控えめな太田君のコメント。
 「(サンウエーブの関係では)現在「技術開発OB会」の副会長をしています。そのOB会の時に現役のLIXIL新宿ショールームのコーディネーター(元サンウエーブ)に現状について話をしてもらっています。OBの年寄りにとっては若い女性が入ると嬉しくなるようで評判がとてもいいんです。これが出来たのも一緒の仲間だったからでしょうね。」


終りに

 太田君を輝かせているのはひたむきさと絆を思う気持ちであった。
 本稿冒頭でKH君の発言で太田君は本書を取り出し該頁を開き読み始めた、について。その時、同君には二つの思いがあった。一つは自分のひたむきさを福島大尉のそれに重ねる心。二つは本を持っていない、読んでいない参会者のことも思いやり全員で共有しようという絆を思う心。
 尚、この輝く人シリーズはブログ「福島泰蔵大尉の実行力を訪ねて」(http://fukushimagizan.blog.so-net.ne.jp/)にも投稿しています。 
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「拓く 福島泰蔵正伝」読後感に輝きを感じる人達ー退任後はハーモニ家となりボランテアに励む人 [名リーダーを思う]

このシリーズの始めに

 ことしのブログ「福島泰蔵大尉の実行力を訪ねて」の「書き終えてシリーズ」中の「初夢で思う夢」稿で寄せて頂いた読後感から生き様が輝いていると感じ、その人の話を聞きたい即ち書きたい、と書いた。他のテーマにとりまぐれどう書けば、ともやもやしていたが、そろそろこのシリーズテーマと思い始めて魂を込めると、私が感じたのはその人ならではのなすべきの輝き、だと思い到った。

 最初は名を成し退任後はハーモニ家(カ)となりボランテアに励む人、宮田昭生君である。

宮田君ならではの為し様の概要 

宮田君は東筑高校59期、北九州某自動車販売会社の専務を63歳で退任して間もなく扁桃腺に悪性リンパ腫が見つかり、入院・手術・術後療養という経過を辿った。そのリハビリを兼ね手慰めでハーモニカを始めた。そのハーモニカは現役時代の東京出張時品川プリンスホテルの売店でお土産を物色中たまたま見つけ購入したもの。複音ハーモニカという日本だけのもので珍しかった、からであるが、何をしようかと思い始めた時自然に手にしていた。ところがはまってしまい独習、腕を磨くため歌声喫茶を探したまたま近くの”花のメルヘン”(マスターは山本さん、遠賀町千代丸)を見つけ、そこに通った(週に一度)。どういうところ、と気になり、私はある日見学させて頂いた。そこではマスター山本さんの進行で全員参加、独唱もあれば合唱もあり、ピアノ、ギター、オカリナそれにハーモニカ等の伴奏、打楽器も加わり昔ながらの歌声喫茶の風景があった。山本さんは「歌は人助け、世の中を明るくし豊かにする、楽しいボランテアです、と屈託なく語られた。そこで同君はすぐに溶け込み、歌好き・演奏好きの仲間との交流も深めた。ある時、声がかかり、ギター奏者の神さん(元小学校校長)、オカリナ奏者の白石さん(元北九州市消防局音楽隊員)を誘って老人福祉施設や老人会等の演奏活動を始めた。今では月に4ケ所の有料老人ホームは定期的に訪問し、そこで入所者のリクエストに応え伴奏、入所者は人生盛りの頃を思い出し懐メロを大声で活き活きと歌う。

 ハーモニカの腕を磨く場が自分の生来の関心を呼び起こす引き金となった

 もともと音楽的素養に恵まれた同君は上手くなりたいと夢中になった。いつの間にか保持するハーモニカはゆうに30を超えた。メロディー楽器としての複音ハーモニカや伴奏楽器としてのコードハーモニカ等々らしい。更に腕を上げたい、と通った花のメルヘンでの人のつながりが誘いとなり、練習での自信や仲間との出会いが後押しして訪問演奏が実現した。その誘いにやってみようと思わせたものは生来の「〇〇が好き」という関心であり、終生ならではの居場所を築き、誰かの役に立ちたい、という志と篤い思いであった。

 活動ぶりにみる生来の関心

 歌う人の笑顔や楽しそうな姿を目にし、家族や施設関係者も含めた多くの方の感謝の言葉を耳にすること、人のお役に立つことが今の大きな喜びであり楽しみである、と宮田君は語る。事前に希望(リクエスト)を尋ね、その場での即興のリクエストにも応える。歌声喫茶の伴奏以外にも事前練習でレパートリーを増やしお互いの息合わせにも努める。リクエストし易くするため、歌詞カードは歌い手用に、楽譜は奏者用にと準備し、そらで演奏できるレパートリーは千曲を軽く超える。それらのマネージメントを軽快?なフットワークで行う宮田君。同君は前記会社で抜群の事業企画・営業センスの持ち主であり人扱いの名手、と同級生としての付き合いで感じていた。その根底には企画が好き、人が好き、世話が好き、という関心分野を磨きぬいたキャリアがあった。

 宮田君は読後感で健さんの魂を込めて、に感動したと言う

 本書「拓く」福島泰蔵正伝を読むに当たり、映画「八甲田山」と「八甲田山死の彷徨」とを読み比べ、読了後、私が高倉健さんから頂いた返事の「魂を込め」に感動した、と語った。帰郷した東筑高同期の太田征男君を囲む会(11月19日、味源(八幡西区折尾))を同君が世話役となり、大いに盛り上がった席でのことである。退職後自分ならではの為すべきの第一歩をハーモニカに求め、ハーモニ家たらんと魂を込めたことで演奏活動のボランテアに拡がった、との思いが言わせた共感と私は受け止めた。
 尚、この輝く人シリーズはブログ「福島泰蔵大尉の実行力を訪ねて」(http://fukushimagizan.blog.so-net.ne.jp/)にも投稿しています。
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人生で棄てたものを拾い出して楽しむ贅沢をしなさい [名リーダーを思う]

始めに

 表記は平成29年6月都内某所で1時間の予定で行われた講演で最後の最後に私の耳に飛び込んできた言葉である。「男のストレス、女のストレス~元気になるための処方箋」と題し、講演者は海原(うみはら)純子先生であった。

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 講演に先立ち同先生のプロフィールに目を通した。それには東京慈恵会医科大学卒業。日本医科大学特任教授、医学博士、心療内科医、産業医。とあり、ハーバード大学客員研究員(2008年~2010年)。(3月まで)復興庁「心の健康サポート事業」の統括責任者として東北各地で活動する。被災地の調査論文で平成28年度日本ストレス学会学会賞を受賞。読売新聞「人生案内回答者」。毎日新聞日曜版「心のサプリ」連載執筆中。20年間、休止していた歌手活動を再開。とあった。
 くらしの場に軸足を置いた調査、診療、講演と心療内科に関わる活動の傍ら執筆家、歌手としてマルチに活動しておられる旨を承知したが歌手活動再開のところはプロではないだろう、上手な素人の趣味活動、と勝手に思い込んで講演開始を待った。

講演

 登壇した先生は小柄で頗る美人で、語尾がはっきりして聞き取りやすく、話が大変上手で分かりやすかった。天は二物も三物も与えるなと一瞬思ったが直ぐ話の虜になった。男のストレスは結果がすべての生き方に関わるものであり、女性のそれは良い人ぶる(悪く思われない)という過度の協調の生き方にかかわるものであると症例を基に分かりやすく説明され、すとんと私の腑に落ちた。話も終盤にかかり、自分は大丈夫とストレスに気づかない人が一番危ない。ストレスに自ら気づき、言葉や態度などを変えることで心を変える。次に・・・。表記の言葉と出会った、というわけ。

この言葉に心が震えた

 聞いた瞬間、びりびり、ときた。私は今明治35年1月に八甲田山雪中行軍を成功させた弘前連隊の福島大尉の本を出版すべく準備中である。去る4月の打ち合わせで出版社の責任ある地位の方から「15年間も追い続けて出版まで到ったものは何か、大変興味がある」と言われた。福島大尉に惹かれたからとしか言いようがなかったが、爾来ずっと私の心の隅でくすぶり続けていた。この言葉は、正確には棄てたというよりも現役時代にあきらめざるを得なかったものを思い出させた。それは古戦場に立ち優勝劣敗や主将の心根に思いを巡らすことである。大変興味があったが仕事上、余裕がない一杯一杯の日々が続いたので人生の回り道になると考えそこに立つこと自体をあきらめた。定年後に福島大尉と出会い次々に新しい魅力を発見する楽しさ、現役時代の仕事文とは一味違う書く楽しさ、古戦場等のゆかりの地に立ち思いを巡らす楽しさ等に相乗的にはまり続け果てがなかった。
 
この言葉は先生の体験が言わせた
 
 この言葉の後に以下のような話があった。
学生時代アルバイトで歌手をしていたが、医者の道を本格的に歩み始めた時にあきらめた。しかし、歌手への憧れは消えず、1999年からプロの歌手としてのコンサート活動を再開し、CDもだした。あくまで結果を求めない、プロセスを楽しむ、人生を楽しむものである。

 ここだけは心療内科医としての症例ではなく、自分の人生の体験に基づいた話であった。贅沢を楽しむ人生はストレスに負けない。それどころか人生を大いに豊かにする,と受け止めた。


終わりに

 先生の言葉から出版というプロセスの贅沢を楽しめる豊かな人生、後期高齢者生活を今送っているんだと気付いた。他の諸々に惑わされず、感謝のこころで本作りをして恩返しをしたいと改めて思った。それにしても何事もやるとなると、マルチに本気な人であった。素人ののど自慢だろう、を心から恥じた。講演終了後著書(その場でサイン)を求めたが大人気でアッという間に売り切れ、後日送って頂くことにした。コンサートをお詫びのしるしも込めて生で聴きたいと思った。 

関連ブログ:福島大尉の実行力を訪ねて(http://fukushimagizan.blog.so-net.ne.jp/

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自衛隊応援クラブ22号(平成27年12月号)「陸上幕僚監部防衛部長前田忠男陸将補スペシャインタビュー」にフォロワーシップを思う [名リーダーを思う]

フォロワーシップについての金言は陸上自衛隊に当てはまる

表記記事を目にした私は記事中の囲みの一つに目を留めた。それには

大いなる精神は静かに忍耐する
 東日本大震災に際して、当時大阪大学の総長だった哲学者の鷲田清一さんが引用された「請われれば一差し舞える人物になれ」という言葉が、私の記憶に残っています。これは文化人類学者である梅棹忠夫さんが、亡くなられる直前のインタビューを締めくくられた言葉だそうです。もしリーダーに推されたときには、いつでも「舞える」よう、日頃から準備をしておけということです。
 この言葉は、まさに陸上自衛隊に当てはまるものだと思っています。積極的な活動はもちろんのこと、さらに国民のみなさんに請われれば、差し舞うだけの準備はできています。淡々と日々の訓練をこなし、しっかりとその実力を蓄えているのです。

とあり、フォロワーシップについての金言と受け止めた。

 鷲田清一大阪大学総長の式辞(H23.3)では市民生活特に公共的な生活に於ける集団とそのリーダー及びそのリーダーをケアするフォロワ―の在り方について述べられ、「請われれば一差し舞える人物になれ」はフォロワーシップについて語られた文脈の中にあった。この考えは、国防・安全保障という公共の課題に対する陸上自衛隊という集団と置き換えると前田将補が語っているようにまさに陸上自衛隊に当てはまる、と私も感じた。

フォロワーの考え方

 ここでいうフォロワーは後ろに控えているが何時でも前へ出れるものという意味である。陸上自衛隊は国家の最後の砦という位置づけであり、普段は後ろに控えているがいざでは、前へとなる。国家は命運を託すに足る人物にそのいざを委ねる。託されたリーダーはその時に備え用意を怠らず、知恵の限りを尽くし勝利へと導く。

防衛大学校生活でフォローワーとしての原石を磨いた

 前田将補は防衛大学校学生時の断郊競技について触れている。全員参加の3年生時の断郊競争は私の経験では大変きついレースであった。そのきつさはアップダウンのきついコースに加えて最後の者がゴールした時がチームのタイムとなる競技の特性にある。即ち同じ力のものが走るのでその日の調子によってバテルものが必ず出るし、いつも同じものがバテたりする。しかもコースの一番苦しいところで発生する。バテてレースを放棄することは出来ない。ゴールしなければチームはもちろん大隊対抗なので大隊も失格となる。そこでバテた者の背嚢を持ってやり、叱咤激励して這ってでもゴールを目指すことになる。そうこうしているうちに、そんな余裕のある者はいないので別の者や背嚢を持ってあげた者がバテたリする。請われた前田学生は本来の自己の走力以下の第3分隊長となりバテそうな隊員のフォローをし、それどころか全体で4位の好成績を収めた。本来早い分隊で勝負したかった自分を押さえ責任者の指示に従った。見込まれたのならそれに応えようと大隊の勝利への貢献を優先した。
 体力さえあれば誰でも出来ると思う方がいるかもしれないがとんでもない。きつさは同じである。その時に他人の背嚢を持ってやる人は”かみさま”である。私がバテた時、背中を押し励まし続けてくれた同期は”かみさま”であった。それだけでも”かみさま”であった。爾来そいつが何かやるときは協力を惜しまなかった。それどころかの好成績には大きな意味がある。足を引っ張る者が逆に牽引車となるプラスの力を引き出したに違いない。体力だけではない推されるに値する力が既に備わっていたのだ。

終わりに

 「大いなる精神は静かに忍耐する」のおおいなる精神とはここで述べたフォロワーシップである。最後の砦として、いざに備え黙々と務めを果たし続ける国家のフォロワーたる陸上自衛隊の使命とそれを自己の精神の琴線とした心ある陸上自衛官の心映えである、と私はこの記事をみて思った。
 また二つの金言提示は自分の専門外の専門家のそれに反応し、心に響いたことを、ミリタリーの専門家として他の分野の方々に対し発信するというスタイルである。防衛基盤をより新しくより大きくするという点で関心の向け方や発信力の在り方について鷲田式辞にある自分の専門外の専門家に対する、外向きの、説明の在り方に通じるものがあると思った。
 最後にこの読者は自衛隊の門を叩くかもしれない若者である。その若者に大きな志や気概を、自らの背中で示した。大変印象に残る、含蓄のある言葉のプレゼントで。
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第2施設群改編に思う [名リーダーを思う]

始めに

表記に関する編成完結行事が行われた。26日夕には群創立62周年記念祝賀会が改編祝賀会を兼ねて行われ、27日には改編完結式が群長大久保1佐の統裁で行われた。お招きを受けた私はこの改編をお祝いすると共に大きな寂しさを感じた。

今回の改編の主なところは365施設中隊及び366施設を廃止して401施設中隊を新編するというものであった。陸上自衛隊の創隊以来の大改革を推し進め南西防衛の実行性を高める一環であるという。

私は昭和42年4月飯塚駐屯地が開設した時に移駐してきた第2施設群108施設大隊第2中隊に3等陸尉任官とともに赴任し、1・3中隊で勤務し、1中隊長となり昭和48年7月大隊廃止に伴い新生第2施設群で320施設中隊長を務めた。新生というのは2こ大隊の群から3この施設中隊を基幹とする群に108施設大隊を母体にして生まれ変わったという意味である。従って大隊の3この(1から3)中隊は320から322施設中隊、365から367施設中隊へと繋がる母中隊である。

その後昭和63年7月から第18代第2施設群長となった。というわけでこの両中隊の廃止と401施設中隊の新編には格別の思いがある。このめでたい時に新生2施群発足当初の歩み(出発点)を踏まえたエールを贈りたい。

1つはパイオニアとしての誇りを持って欲しい

新生第2施設群発足時までは施設部隊は災害派遣や部外土木工事を行って国民に愛される自衛隊となるべくその先頭を走ってきた。
東日本大震災・原発事故での立入禁止3km圏内の捜索活動では空挺団に先駆けて同区域に入り進入路を整備した。国民の理解を劇的に深める大きな一助となった。やがて米ソ冷戦の終結とともに国際秩序は乱れ、安定した安全保障環境作りのための国際貢献が重きをなしたがそこでも施設部隊は先頭を走ってきた。今後どのような時代になっても施設部隊はパイオニアとしての役割が求められることは確かだと思う。

2つは貢献の心をもっともっと磨いて欲しい 

飯塚駐屯地開設のため第2施設群隷下の第108施設大隊は昭和31年の新編から昭和49年7月に幕を閉じるまでの18年間に103万立方mの部内工事を行った。その内飯塚駐屯地を作るための部内工事は36万立方m、ホーク訓練場は46万立方mであった。合計82万立方mで、実に80%が飯塚駐屯地及び高射のための工事であった。東日本大震災・原発事故での3km圏内の活動は危険を顧みず身を挺して責務を完遂する貢献・献身の極致であった。

施設は誰かのためにの部隊であり、真の勇気が常に試される部隊である。


3つは戦技を究めて欲しい

中国の台頭と共に南西防衛が大課題となった。今や施設部隊の拓いた道場で腕を磨いた高射(中SAM)や地対艦ミサイルは第1列島線に睨みを利かす決勝兵器である。これらを護り機能を発揮させる築城等はとても大事である。又離島奪回のための障害構成や揚陸支援もとても大事である。大きな問題はあるが是非クリアーして欲しい。

この際、現場の声がストレートに反映される陸上自衛隊・防衛省・日本国であって欲しいと切に願う。
 
終わりに

ここで東日本大震災・原発事故の3km圏内の2施群の活動に戻りたい。2施群の隊員はどんなに疲れていて気分が悪くても、腹が減っていて食べ辛くても、食事の時タイベックスを決して外さなかった。また瓦礫積載時、粉塵が舞う場所ではマスクは必ず着用した、という。以上は改編祝賀会で、当時367施設中隊の小隊長として現場を経験し、廃止される365施設中隊長を経て今回401施設中隊長となるH1尉から伺った話である。基本を守る真に精強な部隊であると感じた。

401施設中隊は365及び366施設中隊の心を受け継ぎ、400番台の頭号中隊として、そしてまた南西防衛の要として、新たな気持ちでスタートして欲しい。第2施設群全体としては大久保群長を核心として更に精強2施群を目指し頑張って欲しい。課題クリアーのため群挙げて厳しい訓練が必須であるが基本をしっかり行う精強な部隊であり続けて欲しい。
以上









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『探偵ナイトスコープ』で超巨大長靴(ながぐつ)を製作したシバタ社員の心うたれる裏話 [名リーダーを思う]

始めに

 九州朝日放送で平成29年2月11日2445~表記が放映された。

 そのあらすじは「大阪に住む身長195cm、体重155kgの男性英語教師(或いは関係者であったかもしれない)が父の農作業を手伝うため長靴を作って欲しいと同番組の探偵に訴えた。同探偵はシバタ社を探し出し、依頼の為本人を同行して来社した。技術部の佐伯さんと履物事業部の程野さんは作った事のない大きさに困惑しつつも引き受けた。1回の採寸で2週間後に現場の田圃へ持参した。待っていた男性はその場で履いて田圃へ入リ喜んだ、製作担当の二人は胸を撫でおろした。」というものであった。

 視聴後、私は製作を担当された二人の放送されていない苦心談をお聞きしたいと思った。きっとあるはずと思った。やがてその思いはお二人にお話を聞かせて頂き叶えられた。お聞きした苦心談は目から鱗であった。

物凄いプレッシャーに打ち克った

 依頼者とのコンタクトは採寸時の1回のみ、納品は2週間後現場で、という制約があった。従って一回採寸のデータを頼りに作らねばならない。その上(本人とコンタクト出来ないので)作った靴の足合わせが出来ない、更に他の人に頼もうにも大きすぎて試し履きをする人がいない。納品の模様はTVで現場中継されるので失敗出来ないという物凄く厳しいプレッシャーがあった。

 そしてそのプレッシャーは以下の3つの問題で限りなく増幅された。1つ、大きすぎて、「シューフィッター」(後述)専用のメジャーで測れない、専用の型紙に収まらないので微細なデータが取れない。2つ、大きすぎて製作用の型がないので型作りから始めなければならない。3つ、今シバタ社にある最大の32cm用の型を基準にすると重心が後ろになり(踵重心)履いた時後ろに反り返り、農作業に不便である。


二人の紹介

 製作を担当した二人のうち技術部の佐伯さん(写真左)は唯一人の特注品担当。顧客の色々なニーズに応えて来たシバタ社ならではの熟練の職人さんである。もう一人の生産部履物生産技術課の程野さん(写真右)は顧客のニーズに応える「シューフィッター」の資格を持つ足と履物の専門家である。
 程野さんがデータを掴み、佐伯さんが作る。途中でキャッチボールをしながら製作した。

IMG_20170310_133127 二人.jpg

足のデータを掴む

 先ず程野さんの採寸、足のデータ掴みから始めた。しかし、「シューフィッター」専用のメジャーでは(メモリ以上のサイズであり)測れない。足の下に敷く専用型紙に収まり切れないので正確で微妙な形が掴めない。仕方がないので普通の捲き定規で最大限に正確な長さや幅を図った。形はカーペットの上に普通紙を置きその上に立って頂いて掴んだ。そのへこみや足の汗の付き方で足全体の形や指の形・間隔等を掴んだ。固い床の上だったらこうは上手く行かなった。足の甲の高さやふくらみなどは目視で目に焼き付けた。足のサイズは94~5cm。

型を作る

 長靴は型にゴムを張り合わせて作る。シバタ社にある長靴の最大の型は32cmである。従って型作りから始めなければならない。この型作りが難題であった。32cmの型に継ぎ足して程野さんが採寸したデータと眼に焼き付いた形状をここはこう、そこはそうと伝え、佐伯さんが柔軟性のある可塑性の材料(名前を聞き漏らしたので)で形を作り上げて行った。

 程野さんの「シュ--フィッター」としての見極めの眼とそれを形にする佐伯さんの職人の技夫々の冴えがあった。

踵重心を正す

 踵重心を正すには長靴を置いた時の立ち姿に履いた人のイメージを重ねて靴底の高さ、踵の高さを決めなければならない。どのくらいが良いかは佐伯さんの職人としての勘そのもの。特に今回のように超メジャーなお客様は佐伯さんをもってしても勘を働かせるのが厳しかった。結局は32cmの靴底に画像の指差し点の厚さの踵底を張り足し、お客様にご満足頂いた。

IMG_20170310_133342探偵踵.jpg


履ける長靴を作る

 最後に足が入らなければ駄目、そうかといってだぶだぶでも駄目である。結局佐伯さんは2種類の大きさの中敷きで調整できる範囲(の誤差)で仕上げた。即ち小さいほうの中敷きで履き具合をみてまだ余裕が有れば大きいのに変える。将にたった1回の採寸で足合わせもない、試し履きもない状況でこの精度の製品を作り上げた。

IMG_20170310_133547 探偵中敷きsyukusyou.jpg

終わりに

 お話を聞いて、与えられた条件の下でベストを尽くしてニーズにあうものを作りだし顧客満足を達成しようとする高いモノ作りのマインドと現場力を感じた。苦心・苦労に立ち向かい克服する姿に会社へのロイヤリテーや自分への誇り等諸々の真実があると感じた。

 見間違い、聞き間違い、記憶間違いで不正確な記述があるかもしれない。その節はお許し頂きたい。

 以上
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