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人生で棄てたものを拾い出して楽しむ贅沢をしなさい [名リーダーを思う]

始めに

 表記は平成29年6月都内某所で1時間の予定で行われた講演で最後の最後に私の耳に飛び込んできた言葉である。「男のストレス、女のストレス~元気になるための処方箋」と題し、講演者は海原(うみはら)純子先生であった。

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 講演に先立ち同先生のプロフィールに目を通した。それには東京慈恵会医科大学卒業。日本医科大学特任教授、医学博士、心療内科医、産業医。とあり、ハーバード大学客員研究員(2008年~2010年)。(3月まで)復興庁「心の健康サポート事業」の統括責任者として東北各地で活動する。被災地の調査論文で平成28年度日本ストレス学会学会賞を受賞。読売新聞「人生案内回答者」。毎日新聞日曜版「心のサプリ」連載執筆中。20年間、休止していた歌手活動を再開。とあった。
 くらしの場に軸足を置いた調査、診療、講演と心療内科に関わる活動の傍ら執筆家、歌手としてマルチに活動しておられる旨を承知したが歌手活動再開のところはプロではないだろう、上手な素人の趣味活動、と勝手に思い込んで講演開始を待った。

講演

 登壇した先生は小柄で頗る美人で、語尾がはっきりして聞き取りやすく、話が大変上手で分かりやすかった。天は二物も三物も与えるなと一瞬思ったが直ぐ話の虜になった。男のストレスは結果がすべての生き方に関わるものであり、女性のそれは良い人ぶる(悪く思われない)という過度の協調の生き方にかかわるものであると症例を基に分かりやすく説明され、すとんと私の腑に落ちた。話も終盤にかかり、自分は大丈夫とストレスに気づかない人が一番危ない。ストレスに自ら気づき、言葉や態度などを変えることで心を変える。次に・・・。表記の言葉と出会った、というわけ。

この言葉に心が震えた

 聞いた瞬間、びりびり、ときた。私は今明治35年1月に八甲田山雪中行軍を成功させた弘前連隊の福島大尉の本を出版すべく準備中である。去る4月の打ち合わせで出版社の責任ある地位の方から「15年間も追い続けて出版まで到ったものは何か、大変興味がある」と言われた。福島大尉に惹かれたからとしか言いようがなかったが、爾来ずっと私の心の隅でくすぶり続けていた。この言葉は、正確には棄てたというよりも現役時代にあきらめざるを得なかったものを思い出させた。それは古戦場に立ち優勝劣敗や主将の心根に思いを巡らすことである。大変興味があったが仕事上、余裕がない一杯一杯の日々が続いたので人生の回り道になると考えそこに立つこと自体をあきらめた。定年後に福島大尉と出会い次々に新しい魅力を発見する楽しさ、現役時代の仕事文とは一味違う書く楽しさ、古戦場等のゆかりの地に立ち思いを巡らす楽しさ等に相乗的にはまり続け果てがなかった。
 
この言葉は先生の体験が言わせた
 
 この言葉の後に以下のような話があった。
学生時代アルバイトで歌手をしていたが、医者の道を本格的に歩み始めた時にあきらめた。しかし、歌手への憧れは消えず、1999年からプロの歌手としてのコンサート活動を再開し、CDもだした。あくまで結果を求めない、プロセスを楽しむ、人生を楽しむものである。

 ここだけは心療内科医としての症例ではなく、自分の人生の体験に基づいた話であった。贅沢を楽しむ人生はストレスに負けない。それどころか人生を大いに豊かにする,と受け止めた。


終わりに

 先生の言葉から出版というプロセスの贅沢を楽しめる豊かな人生、後期高齢者生活を今送っているんだと気付いた。他の諸々に惑わされず、感謝のこころで本作りをして恩返しをしたいと改めて思った。それにしても何事もやるとなると、マルチに本気な人であった。素人ののど自慢だろう、を心から恥じた。講演終了後著書(その場でサイン)を求めたが大人気でアッという間に売り切れ、後日送って頂くことにした。コンサートをお詫びのしるしも込めて生で聴きたいと思った。 

関連ブログ:福島大尉の実行力を訪ねて(http://fukushimagizan.blog.so-net.ne.jp/

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自衛隊応援クラブ22号(平成27年12月号)「陸上幕僚監部防衛部長前田忠男陸将補スペシャインタビュー」にフォロワーシップを思う [名リーダーを思う]

フォロワーシップについての金言は陸上自衛隊に当てはまる

表記記事を目にした私は記事中の囲みの一つに目を留めた。それには

大いなる精神は静かに忍耐する
 東日本大震災に際して、当時大阪大学の総長だった哲学者の鷲田清一さんが引用された「請われれば一差し舞える人物になれ」という言葉が、私の記憶に残っています。これは文化人類学者である梅棹忠夫さんが、亡くなられる直前のインタビューを締めくくられた言葉だそうです。もしリーダーに推されたときには、いつでも「舞える」よう、日頃から準備をしておけということです。
 この言葉は、まさに陸上自衛隊に当てはまるものだと思っています。積極的な活動はもちろんのこと、さらに国民のみなさんに請われれば、差し舞うだけの準備はできています。淡々と日々の訓練をこなし、しっかりとその実力を蓄えているのです。

とあり、フォロワーシップについての金言と受け止めた。

 鷲田清一大阪大学総長の式辞(H23.3)では市民生活特に公共的な生活に於ける集団とそのリーダー及びそのリーダーをケアするフォロワ―の在り方について述べられ、「請われれば一差し舞える人物になれ」はフォロワーシップについて語られた文脈の中にあった。この考えは、国防・安全保障という公共の課題に対する陸上自衛隊という集団と置き換えると前田将補が語っているようにまさに陸上自衛隊に当てはまる、と私も感じた。

フォロワーの考え方

 ここでいうフォロワーは後ろに控えているが何時でも前へ出れるものという意味である。陸上自衛隊は国家の最後の砦という位置づけであり、普段は後ろに控えているがいざでは、前へとなる。国家は命運を託すに足る人物にそのいざを委ねる。託されたリーダーはその時に備え用意を怠らず、知恵の限りを尽くし勝利へと導く。

防衛大学校生活でフォローワーとしての原石を磨いた

 前田将補は防衛大学校学生時の断郊競技について触れている。全員参加の3年生時の断郊競争は私の経験では大変きついレースであった。そのきつさはアップダウンのきついコースに加えて最後の者がゴールした時がチームのタイムとなる競技の特性にある。即ち同じ力のものが走るのでその日の調子によってバテルものが必ず出るし、いつも同じものがバテたりする。しかもコースの一番苦しいところで発生する。バテてレースを放棄することは出来ない。ゴールしなければチームはもちろん大隊対抗なので大隊も失格となる。そこでバテた者の背嚢を持ってやり、叱咤激励して這ってでもゴールを目指すことになる。そうこうしているうちに、そんな余裕のある者はいないので別の者や背嚢を持ってあげた者がバテたリする。請われた前田学生は本来の自己の走力以下の第3分隊長となりバテそうな隊員のフォローをし、それどころか全体で4位の好成績を収めた。本来早い分隊で勝負したかった自分を押さえ責任者の指示に従った。見込まれたのならそれに応えようと大隊の勝利への貢献を優先した。
 体力さえあれば誰でも出来ると思う方がいるかもしれないがとんでもない。きつさは同じである。その時に他人の背嚢を持ってやる人は”かみさま”である。私がバテた時、背中を押し励まし続けてくれた同期は”かみさま”であった。それだけでも”かみさま”であった。爾来そいつが何かやるときは協力を惜しまなかった。それどころかの好成績には大きな意味がある。足を引っ張る者が逆に牽引車となるプラスの力を引き出したに違いない。体力だけではない推されるに値する力が既に備わっていたのだ。

終わりに

 「大いなる精神は静かに忍耐する」のおおいなる精神とはここで述べたフォロワーシップである。最後の砦として、いざに備え黙々と務めを果たし続ける国家のフォロワーたる陸上自衛隊の使命とそれを自己の精神の琴線とした心ある陸上自衛官の心映えである、と私はこの記事をみて思った。
 また二つの金言提示は自分の専門外の専門家のそれに反応し、心に響いたことを、ミリタリーの専門家として他の分野の方々に対し発信するというスタイルである。防衛基盤をより新しくより大きくするという点で関心の向け方や発信力の在り方について鷲田式辞にある自分の専門外の専門家に対する、外向きの、説明の在り方に通じるものがあると思った。
 最後にこの読者は自衛隊の門を叩くかもしれない若者である。その若者に大きな志や気概を、自らの背中で示した。大変印象に残る、含蓄のある言葉のプレゼントで。
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第2施設群改編に思う [名リーダーを思う]

始めに

表記に関する編成完結行事が行われた。26日夕には群創立62周年記念祝賀会が改編祝賀会を兼ねて行われ、27日には改編完結式が群長大久保1佐の統裁で行われた。お招きを受けた私はこの改編をお祝いすると共に大きな寂しさを感じた。

今回の改編の主なところは365施設中隊及び366施設を廃止して401施設中隊を新編するというものであった。陸上自衛隊の創隊以来の大改革を推し進め南西防衛の実行性を高める一環であるという。

私は昭和42年4月飯塚駐屯地が開設した時に移駐してきた第2施設群108施設大隊第2中隊に3等陸尉任官とともに赴任し、1・3中隊で勤務し、1中隊長となり昭和48年7月大隊廃止に伴い新生第2施設群で320施設中隊長を務めた。新生というのは2こ大隊の群から3この施設中隊を基幹とする群に108施設大隊を母体にして生まれ変わったという意味である。従って大隊の3この(1から3)中隊は320から322施設中隊、365から367施設中隊へと繋がる母中隊である。

その後昭和63年7月から第18代第2施設群長となった。というわけでこの両中隊の廃止と401施設中隊の新編には格別の思いがある。このめでたい時に新生2施群発足当初の歩み(出発点)を踏まえたエールを贈りたい。

1つはパイオニアとしての誇りを持って欲しい

新生第2施設群発足時までは施設部隊は災害派遣や部外土木工事を行って国民に愛される自衛隊となるべくその先頭を走ってきた。
東日本大震災・原発事故での立入禁止3km圏内の捜索活動では空挺団に先駆けて同区域に入り進入路を整備した。国民の理解を劇的に深める大きな一助となった。やがて米ソ冷戦の終結とともに国際秩序は乱れ、安定した安全保障環境作りのための国際貢献が重きをなしたがそこでも施設部隊は先頭を走ってきた。今後どのような時代になっても施設部隊はパイオニアとしての役割が求められることは確かだと思う。

2つは貢献の心をもっともっと磨いて欲しい 

飯塚駐屯地開設のため第2施設群隷下の第108施設大隊は昭和31年の新編から昭和49年7月に幕を閉じるまでの18年間に103万立方mの部内工事を行った。その内飯塚駐屯地を作るための部内工事は36万立方m、ホーク訓練場は46万立方mであった。合計82万立方mで、実に80%が飯塚駐屯地及び高射のための工事であった。東日本大震災・原発事故での3km圏内の活動は危険を顧みず身を挺して責務を完遂する貢献・献身の極致であった。

施設は誰かのためにの部隊であり、真の勇気が常に試される部隊である。


3つは戦技を究めて欲しい

中国の台頭と共に南西防衛が大課題となった。今や施設部隊の拓いた道場で腕を磨いた高射(中SAM)や地対艦ミサイルは第1列島線に睨みを利かす決勝兵器である。これらを護り機能を発揮させる築城等はとても大事である。又離島奪回のための障害構成や揚陸支援もとても大事である。大きな問題はあるが是非クリアーして欲しい。

この際、現場の声がストレートに反映される陸上自衛隊・防衛省・日本国であって欲しいと切に願う。
 
終わりに

ここで東日本大震災・原発事故の3km圏内の2施群の活動に戻りたい。2施群の隊員はどんなに疲れていて気分が悪くても、腹が減っていて食べ辛くても、食事の時タイベックスを決して外さなかった。また瓦礫積載時、粉塵が舞う場所ではマスクは必ず着用した、という。以上は改編祝賀会で、当時367施設中隊の小隊長として現場を経験し、廃止される365施設中隊長を経て今回401施設中隊長となるH1尉から伺った話である。基本を守る真に精強な部隊であると感じた。

401施設中隊は365及び366施設中隊の心を受け継ぎ、400番台の頭号中隊として、そしてまた南西防衛の要として、新たな気持ちでスタートして欲しい。第2施設群全体としては大久保群長を核心として更に精強2施群を目指し頑張って欲しい。課題クリアーのため群挙げて厳しい訓練が必須であるが基本をしっかり行う精強な部隊であり続けて欲しい。
以上









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『探偵ナイトスコープ』で超巨大長靴(ながぐつ)を製作したシバタ社員の心うたれる裏話 [名リーダーを思う]

始めに

 九州朝日放送で平成29年2月11日2445~表記が放映された。

 そのあらすじは「大阪に住む身長195cm、体重155kgの男性英語教師(或いは関係者であったかもしれない)が父の農作業を手伝うため長靴を作って欲しいと同番組の探偵に訴えた。同探偵はシバタ社を探し出し、依頼の為本人を同行して来社した。技術部の佐伯さんと履物事業部の程野さんは作った事のない大きさに困惑しつつも引き受けた。1回の採寸で2週間後に現場の田圃へ持参した。待っていた男性はその場で履いて田圃へ入リ喜んだ、製作担当の二人は胸を撫でおろした。」というものであった。

 視聴後、私は製作を担当された二人の放送されていない苦心談をお聞きしたいと思った。きっとあるはずと思った。やがてその思いはお二人にお話を聞かせて頂き叶えられた。お聞きした苦心談は目から鱗であった。

物凄いプレッシャーに打ち克った

 依頼者とのコンタクトは採寸時の1回のみ、納品は2週間後現場で、という制約があった。従って一回採寸のデータを頼りに作らねばならない。その上(本人とコンタクト出来ないので)作った靴の足合わせが出来ない、更に他の人に頼もうにも大きすぎて試し履きをする人がいない。納品の模様はTVで現場中継されるので失敗出来ないという物凄く厳しいプレッシャーがあった。

 そしてそのプレッシャーは以下の3つの問題で限りなく増幅された。1つ、大きすぎて、「シューフィッター」(後述)専用のメジャーで測れない、専用の型紙に収まらないので微細なデータが取れない。2つ、大きすぎて製作用の型がないので型作りから始めなければならない。3つ、今シバタ社にある最大の32cm用の型を基準にすると重心が後ろになり(踵重心)履いた時後ろに反り返り、農作業に不便である。


二人の紹介

 製作を担当した二人のうち技術部の佐伯さん(写真左)は唯一人の特注品担当。顧客の色々なニーズに応えて来たシバタ社ならではの熟練の職人さんである。もう一人の生産部履物生産技術課の程野さん(写真右)は顧客のニーズに応える「シューフィッター」の資格を持つ足と履物の専門家である。
 程野さんがデータを掴み、佐伯さんが作る。途中でキャッチボールをしながら製作した。

IMG_20170310_133127 二人.jpg

足のデータを掴む

 先ず程野さんの採寸、足のデータ掴みから始めた。しかし、「シューフィッター」専用のメジャーでは(メモリ以上のサイズであり)測れない。足の下に敷く専用型紙に収まり切れないので正確で微妙な形が掴めない。仕方がないので普通の捲き定規で最大限に正確な長さや幅を図った。形はカーペットの上に普通紙を置きその上に立って頂いて掴んだ。そのへこみや足の汗の付き方で足全体の形や指の形・間隔等を掴んだ。固い床の上だったらこうは上手く行かなった。足の甲の高さやふくらみなどは目視で目に焼き付けた。足のサイズは94~5cm。

型を作る

 長靴は型にゴムを張り合わせて作る。シバタ社にある長靴の最大の型は32cmである。従って型作りから始めなければならない。この型作りが難題であった。32cmの型に継ぎ足して程野さんが採寸したデータと眼に焼き付いた形状をここはこう、そこはそうと伝え、佐伯さんが柔軟性のある可塑性の材料(名前を聞き漏らしたので)で形を作り上げて行った。

 程野さんの「シュ--フィッター」としての見極めの眼とそれを形にする佐伯さんの職人の技夫々の冴えがあった。

踵重心を正す

 踵重心を正すには長靴を置いた時の立ち姿に履いた人のイメージを重ねて靴底の高さ、踵の高さを決めなければならない。どのくらいが良いかは佐伯さんの職人としての勘そのもの。特に今回のように超メジャーなお客様は佐伯さんをもってしても勘を働かせるのが厳しかった。結局は32cmの靴底に画像の指差し点の厚さの踵底を張り足し、お客様にご満足頂いた。

IMG_20170310_133342探偵踵.jpg


履ける長靴を作る

 最後に足が入らなければ駄目、そうかといってだぶだぶでも駄目である。結局佐伯さんは2種類の大きさの中敷きで調整できる範囲(の誤差)で仕上げた。即ち小さいほうの中敷きで履き具合をみてまだ余裕が有れば大きいのに変える。将にたった1回の採寸で足合わせもない、試し履きもない状況でこの精度の製品を作り上げた。

IMG_20170310_133547 探偵中敷きsyukusyou.jpg

終わりに

 お話を聞いて、与えられた条件の下でベストを尽くしてニーズにあうものを作りだし顧客満足を達成しようとする高いモノ作りのマインドと現場力を感じた。苦心・苦労に立ち向かい克服する姿に会社へのロイヤリテーや自分への誇り等諸々の真実があると感じた。

 見間違い、聞き間違い、記憶間違いで不正確な記述があるかもしれない。その節はお許し頂きたい。

 以上
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琵琶湖で行われた第4施設団漕舟競技会を見学して思う [名リーダーを思う]

平成28年度第4施設団戦技競技会の一環である漕舟競技会が平成29年3月1日大津駐屯地に接続する琵琶湖で行われ見学の機会を頂いた。感動を頂くと共に思うところがあった。その様を書きたい。


概要

団の競技会として初めての試みであった。漕舟競技会とは渡河ボートを操りその速さを競うことである。人員は15名以下と決められており、櫓をこぐ人、櫂をこぐ人、指揮をする人等で構成されている。この競技に求められるものは櫓や櫂を操作する技量、舟長の指揮、チームワーク、気力・体力そしてなにより必勝の執念であり、各中隊等のより一層の一体感を強めることにあると思われた。

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IMG_20170301_132146 琵琶湖2周目イン競技風景縮小.jpg


団隷下で6ケ駐屯地(豊川・富山・岐阜・大久保・和歌山・三軒屋・出雲)に所在する部隊の中隊又はこれに準ずる部隊である全18ケ中隊等が参加した。

競技は1周1300mの3角コースを1周目は右回り2週目は左回りする2周約2600mのコースで行われた。参加18チーム中、6チームずつの予選を行い、タイム順に上から6チームで決勝が行われた。

結果は第7施設群304水際障害中隊(和歌山)が優勝した。2位は第7施設群381施設中隊(大久保)で、最初に出遅れ1周回ったところで2位に浮上したが取り返せなかった。予選では2チームの力が図抜けたタイムを出していた。1位は381施設中隊で2位は304水際障害中隊(和歌山)であった。決勝では逆になった。

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最高の施設魂の見せ場がここにある

競技間、最初にトップに立ち最初のコーナーをうまく抜けてするすると走り切った304水際障害中隊を目で追う事が多かった。目で追いながら、このコースの特長を見事にとらえた作戦とそれを実行できる力を持っていると感じた。

勝利の要訣はスタートダッシュとコーナーリング。長丁場を考えて力をセーブせず最初に全力を出し切る。密集に巻き込まれずに頭を抜け出して有利な位置からコーナーに入る。船足を落とさずにまわり終わったら一挙に加速する、遠周りせずに最短距離でコーナをまわり次への有利な位置どりをし次に向かう。

船がコーナーでぶつかり合う様はまるで船の格闘のようである。怯んで船足を落としたり遠周りすると脱落する。まともにぶつかり合いに巻き込まれるとおいて行かれる。その嫌な試練が5回ある。たんなる技量としての操舟力だけではないものがこの場には求められている。最も見ごたえのある施設魂である。


戦技を思う

昭和50年8月の豪雨や台風6号で石狩川が決壊した時、江別市周辺は広範囲に水没した。この時に活躍したのが当時志方2佐が率いる第102施設大隊(岩見沢)であった。この時沢山の渡河ボートが濁流をものともせずに走り回っていた記憶がある。戦技と名の付く理由がここにある。施設部隊として任務達成に直結する技が戦技である。

心手期せずしての域を目の当たりにして

シバタ工業株式会社の新入社員の体験入隊を大久保駐屯地にお願いしている。昨年主に教えて頂いたのは漕舟であった。(参照:ブログ「陸上自衛隊大久保駐屯地の教育関係者がシバタ工業株式会社新入社員の体験入隊で魅せた教える力に思う」)今回の見学で当社社員も戦技としての漕舟の奥行きの深さというか本物を知ることが出来た。陸上自衛隊に体験入隊をお願いする意義を再確認出来た。

この様な機会を頂いた団長小林 弘樹陸将補始めお世話を頂いた司令業務室の皆様に心からのお礼を申し上げます。


2位の381施設中隊について一言

決勝ではスタートで出遅れて5位、第2コーナーで3位、3コーナーを回った(2周目に入った)ところで2-位に上がった。この格闘漕舟の中で順位を上げるとは!相当の漕舟力があると感じた。勝敗は時の運、あきらめない敢闘精神に敬意を表したい。良いものを見せて頂いた。

以上





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平成29年度第1空挺団降下始めに於ける始めての試み、バトラーを使用した実戦的訓練に思う [名リーダーを思う]

始めに

平成29年1月某日習志野駐屯地を訪れた私は表記訓練(平成29年1月8日、於習志野演習場)でバトラー(交戦訓練装置)が使用された事を承知した。帰宅後ニコニコ動画「平成29年度第1空挺団降下始め第2部」を視聴した私は実戦的訓練の様子に感動をうけた。その感想(想像を含め)を書きたい。

基本となる場の構成

習志野演習場の緊要地形である中部台の争奪のための赤・青両中隊(1ケ普通科小隊基幹)の対抗戦であり、対抗勝ち抜き戦の予選を勝ち抜いた2組(2個中隊)の決勝戦という場が構成されていた。

バトラー(交戦訓練装置)と訓練の基本的な仕組みj

各人の銃にはレーザー発射機を取り付け、体の各部位には防護プロテクタ(レーザー受信装置)を装着する。射撃が当たれば必ずその部位と被害の程度が表示される。撃たれた人は青部隊は青、赤部隊は赤の帽子をかぶりその場に停止。

迫撃砲の射撃の効果として狙った地点の弾着精度に応じその有効弾着内における車両や人員等の被害とその程度が表示される。被害を受けた火器等は使えない。弾着内に多く人員がいる場合は大きなダメージを受ける。


対抗演習の流れと本質

ヘリに搭載したオートバイの偵察、ヘリに吊り下げた迫撃砲の布置・射撃、普通科小隊のヘリボーン降着・戦闘展開・敵への近迫、ヘリからの狙撃等の経過を経て青部隊である空挺普通科第2大隊6中隊が中部台を確保勝利した。

偵察段階で大事な情報を取り合い、次に迫撃砲の戦いの局面では弾をどちらが先に撃つか、撃った弾の命中精度の高さで火力優勢が決まる。その火力優勢を支配して普通科小隊の出番、普通科小隊はその火力基盤を頼りにして機動力を発揮し敵に近迫する。戦機に統合するヘリからの狙撃もある。恐らく狙うのは相手の指揮官?空を飛んでいるヘリからの狙撃は大変難しい。選ばれた狙撃手は任務必遂を期す。一方狙われる指揮官は空から自分が狙われている、という危機感を持っているかが問われる。以上の全体の流れの中で一寸でも落ち度のあった方が負けというストーリー。しかし、そこに誤算(勝算)を与えるのが(不用意な)人員損耗。だから単に戦いごっこではない、実戦的であろうとする本質がこの全体のストーリーにあると感じた。

実戦的と感じた点

射撃と回避動作の基本を確実に身に着けているか否かの練度の差が損害の差となる。偶々もあるだろうが各種の戦技を組み合わせた今回のストリーは一人一人の地力が問われている。

損害といえば上記だけではない。お互い迫撃砲は相手の陣地位置を掴みそこに火力を集中し無力化を図る。だから自分の陣地は偽装し、陣地変換を機敏に行う。そのミスをした方が火力戦に遅れをとる。又迫撃砲は敵の機道路を予想しそこに弾幕を張って待ち構える。そこを無警戒に通ると人員に大損害を受ける。指揮官の指揮の適切性がすべての局面で問われている。

損害の多さは勝敗に直結する。実際中部台の直接攻防では青の多さが目立った。一人撃たれるとその救急・後送のために戦闘力が削がれ、緊要な場面では決定的に有利な態勢をとられれかねない。しかし前述のように損害を恐れた消極的な姿勢だけでは任務を達成できない。以上が分かった上で任務達成を追求する執念と勝つ方策の創意の戦いである。

負傷者等が発生した場合、周辺のものは止血等の救急手当を直ぐ行い、担架による後送も行わなければならない。仲間を救うことはチームとしての使命であり、隊員必須の行為である。しかし実戦では構わず前へ、見捨てて前への厳しい局面も覚悟しなければならない。

中隊長が倒れたり、小隊長が倒れたりする状況も現出した。その時、次々に次級者が指揮をし、最後の一人まで戦える部隊であるかが問われる。

対抗戦では包囲・迂回が多用される。損害少なく効果的な戦術・戦法を適用し勝つ、逆に言えばそこを本気でやらなければ何回やっても必敗である、という感覚を本訓練で指揮官が身に着けるか否かが問われる。


本気が無ければ物事は始まらない

本気が無ければ実戦の場とは程遠い。その点で予選をして勝ち残った2組の決勝戦という場は最高に空挺魂を刺激すると感じた。自衛隊を選ぶとき本当に男の中の男として生きたいと敢えて一番厳しい職種?を選んだ勇者の集団の中の真の勇者という名誉こそ勇者タラント励む男の生きがいであろう。そして負けた悔しさも真の勇者への大事な動機となる、と感じた。

終わりに

平成29年降下始めにこのような場を設定され、実戦的訓練の追及を鮮明に宣言された英断に敬意を表したい。
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57回書灯社展で頂いた感動の奥深さを思う [名リーダーを思う]

会場にて


表記展覧会が11月9日~14日までの間、東京都美術館で開催された。今回は作品を通じどんな山保さんに出会えるか?に興味津々であった私は時間をやりくりして11月9日訪れた。そこで新たな感動を頂いた。

それは山保さんの『風景との巡り合い』(東山魁夷)の一節を書した大作(無鑑査の部)の中にあった。

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書で四季(春夏秋冬)を表現したかった、と山保さん。門外漢の私にはあまり聞いたことのない試みであり、今までに歩いた人がいない、それだけに難しい挑戦と感じた。

『風景との巡り合い』の”春、夏、秋、冬”夫々を語る文章と季節を描いた絵から春は芽吹き、夏は木々の繁りと草いきれ、秋は紅葉と枯葉と落ち葉、冬は雪と黒い木々をイメージして自分なりの季節感を書に込めたとの事。

暫く佇み書を鑑賞した私には以下の感想が湧いてきた。やがてそれは感動に変わった。

春は字の柔らかさやのびやかさと余白のゆったり感でらしい感じが出ている。
夏は勢いのある濃い字と余白を詰めてらしい感じ出ている。
秋はかすれ気味の字と余白を詰めてらしい感じが出ている。
冬はかすれた字とぼってり感のある字との組み合わせ及び広めの余白でらしい感じが出ている。

全体を通して春は上部が左上がりの余白、夏と秋は上部に余白なし、冬は左下がりの余白で四季の移ろいを表現している。

『風景との巡り合い』(東山魁夷小画集、新潮文庫)を手にして

私は山保さんのイメージした絵と文章を確かめたくて表記本を取り寄せた。そこで該文章が著者(東山魁夷)の”風景開眼”の中で人生観に目覚めた心境を語っている文脈の中にあることを知った。

それは八ヶ岳の気に入った場所、美ヶ森といわれる高原の一画の風景を年に10数回訪れ季節の巡りを興味を持って眺めていた春まだ浅い頃、雪のため頑丈な樅ノ木の枝でも折れているのに雪に埋もれ倒れたはずの細い芒が立っている。そのことを不思議に思った著者は春夏秋冬、その場に立ちその不思議に向き合った。そして冬には雪に下から徐々に埋まり遂には全部隠れてしまう。そして冬が過ぎ去るにつれ、雪は上から消えて、立った芒が姿を表す。著者はこの弱々しいものの、運命に逆らわないで耐えている姿に感動した。それは芒を四季を通して観察し風景開眼に到った歩みであり、無常観で生かされている自分、その中で精一杯生きたいと思っている自分の人生開眼を語っていた。

八ヶ岳の四季の風景が浮かび、書のイメージが鮮明になって、新たな感動が生まれた。


同時に、私は東山魁夷が風景画家として開眼したきっかけとなる光景を書き表す書、即ち芒を巡る季節の表現を通してその人生観を語る書も見たいと思った。

的外れで余計な感想かもしれない。しかしそうであっても、山保さんの進取性に敬意を表し、エールを贈りたいという思いに免じご容赦頂きたい。


審査会員昇格の知らせを受けて

毎日書道会(展)の審査会員(近代詩文の部)に昇格したと風の便りを聞き本人に確認した(12月15日)。本人は控えめに皆様のおかげですと多くを語らなかったが、インターネットで調べてみると読売書道展と日展と並び日本の三大書道展(会)の一つと扱っているものもあった。日展は別格としても書を目指す人にとっては凄い名誉な事らしい。彼女の書に対する情熱と努力を続けた姿を良く承知しているものとしてこの朗報を心から喜び、更に彼女のモットーである〝虚心に”道を究めて欲しい、と思っている。彼女の進取の精神といつも弟子や先輩に感謝している謙虚さ、に改めて敬意を表したい。

以上



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モンゴル軍における道路構築に関する能力構築支援事業終了に思う [名リーダーを思う]

始めに

表記を施設学校記念日行事(H28.11.6)で承知した私はその内容を知るべく懇親会場でこのプロジェクト実行の中心人物である同校企画室山脇3佐始め関係した数人から話を聞いた。概要は以下の通り(朝雲(平成28.10.27)、及び防衛省HP)であるが、私は陸上自衛隊(官)・施設学校ならではの流儀が浸透しており、これは自衛官が平素から営々と国民の負託に応え努力をしてきた姿そのものであると感じた。そこを勝手に想像を交え書きたい。

プロジェクトの概要

防衛省・自衛隊では、平成26年度よりモンゴル軍のPKOの能力向上及び災害対応能力の向上に資するため、施設分野における能力構築支援事業を行い本年度(28年度)終了した。主要な要員の差出や教育は陸上自衛隊施設学校が担当した。

 1年目(26年度)は自衛官をモングル軍工兵部隊に派遣(6月~9月)し、、道路構築における基礎として、まず測量及び設計の基本事項の修得を目指し、座学による基礎教育と野外での測量実習を実施。次いでモンゴル国軍工兵部隊より、昨年夏の受講者から選抜された5名の研修生を招へい(27年2月~3月)した。陸上自衛隊施設学校で同校幹部土木課程の一部を受講し、道路構築における作業見積や施工計画とその管理に関する知識を身につけさせた。

2年目(27年度)は自衛官を派遣(7~9月)して昨年の測量に続き砂利道構築までの教育を実施。3週間の基礎教育として、理論等を学んだ後、実際にモンゴル軍PKOセンター正門横の道路を使用し、200mの砂利道を構築した。 凍上抑制層、下層路盤、上層路盤と積み上げていく施工方法はモンゴル軍にとっても初めての施工となり、最初は戸惑う場面も見られましたが、実習中盤より急速に施工要領を身につけ、最終的にモンゴル軍の手で監督・指示・安全管理を行い、重機の操作手も数センチの厚みを均していく施工方法を修得した。次いでモンゴル国軍工兵部隊より、昨年の受講者から、選抜さた7名の研修生(施工監督、測量手、重機運転工の各優秀者)とモンゴル国軍参謀本部事業責任者を招へい(28年2月)した。目的はアスファルト舗装の要領を習得させにあった。アスファルト舗装に関する基礎教育を受けた後、砂をアスファルトに見立てた舗装実習を行い、その後、陸上自衛官の指導の下、実際のアスファルトによる舗装実習に参加した。

3年目(28年度)は8月~9月の間、実習道路の測量から路盤の構築~アスファルト舗装実習を行った。アスファルト舗装実習では、施工監督/測量班/アスファルト・フィニッシャー班/手作業班の4班に分かれ、それぞれの役割分担と連携を見事に修得し、自衛官の指導の下、実習用道路を完成させた。実習道路の測量をほぼ自らの手で行い、昨年度は凍上抑制層から下層路盤、上層路盤までの構築に悪戦苦闘する姿も見られたが、今年は昨年度の半分の作業時間で上層路盤の再構築を終える等著しい成長を見せた。


1つ、普段通り目標レベルに到達させる親身の教育

陸上自衛隊(官)・施設学校にとって普段から目標をマスターさせるために教育に当たるものは使命感と情熱を傾注する、のが当たり前である。従って被教育者一人一人が分かるまで教官はトコトン付き合う。今回もそうであった。

それは当初意外の感じをもって受け止められたようであった。なぜならこの種教育などでは決められたことを決められた通り行えばそれで終わりの風潮が多分にあったようだ。しかし一歩も二歩も踏み込んだ教官側の指導で全員が揃って進度を挙げ、相互に刺激しあう良い環境が出来上がった。

2つ、言行一致の教育

最初、少なからず何をどのように教えるのか?という懐疑の念も正直あったようだが、その内目つきが変わった。

それは教官が口頭で説明している教育内容をそのままやって見せる技術の高さ・確かさ即ち言行一致の教育のせいであった。そこに感じ入った受講生の意欲の高まり教官側も情熱がさらに増し好循環が生じた。


3つ、自ら学び行う、を更に引きだし見守る教育

モンゴル軍の受講生は将来の道路構築の技術者であり、軍全般に広める中心的指導者である。学び行う意欲は高い。そこを更に(前項・前前項で)引き出し、H28における国防大学生の測量実習において殆ど自主性に任せ結果に責任を持たせた点、アスファルト舗装実習に於いて各班の見事な連携を口出しせずに引き出し完成させた点等に自発性を見守る中に日本・陸上自衛隊・施設学校ならではのきめ細かさを自発的に浸透させている姿を感じた。

以上
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平成28年度日米共同方面隊指揮所演習(YS-71)を見学して思う [名リーダーを思う]

始めに
表記演習が平成28年11月28日~12月13日の予定で開始された。12月5日表記演習を陸上自衛隊健軍駐屯地において部外研修者グループの一員として見学した私はその充実振りに大きな感動を覚えた。

演習の参加人員日本側約5000名、米側約1600名で日米陸軍種に置ける最大規模の演習。統裁官は陸上幕僚長、演習担任官は西部方面総監、米側は統裁官太平洋陸軍司令官、演習担任官は第1軍団長。


制服同士の信頼感が真に同盟を揺るぎないものにしている

全体的には本演習が昭和56年から今年まで継続され、手探りで相互の違いを理解し、課題を共有する段階を経て今や実効性を高める域に到っていると感じた。加えて片や陸上幕僚監部・西部方面総監部、片や太平洋陸軍・第1軍団司令部を挙げて諸々の部隊や機関等が参加する双方の意気込みや一年を通して相互に準備をする緊密さ、高いレベルを追求する真剣さ及び統裁ゾーン、指揮所ゾーンで日米の関係者が諸所に行っている会議や談笑等から伝わってくる熱気等からお互いの信頼感や”トモダチ(東日本震災で発揮された)”感は高いレベルにあると感じた。そしてそのレベルの高さは陸上自衛隊が本演習を重視しており、制服同士の信頼感が同盟の根幹という誇りや自負に支えられているから・・・と感じた。

又ここまで双方が真摯に積み重ねてきた所以のものは”共同”というむずかしさを良く弁え、米軍の指揮に委ねるという安易な途を決して選ばない、”自分の国は自分で守り与えられた力の限りを尽くして国民の負託に応える”という強い決意とその尊重の姿勢であると感じた。

総監部の実際的指揮幕僚活動の追求

方面総監部が演習部隊に専念し当面作戦と将来作戦、昼と夜のシフト勤務を実際的に行う等の配慮が窺えた。着上陸侵攻から敵を撃破する間に生起するであろう問題等を作戦・後方の幅広い機能を結集し丁寧に拾い上げる実際的な国土戦、例えば統合任務部隊の編成・指揮、国民保護や文化財保護等を意識していると感じた。それらの実際性に立って真に高い練度を追求し、実効性の高い施策を創造する域に到ったと感じた。


本演習を重視する陸上自衛隊の姿勢

目前に迫った陸上自衛隊大改革にスムーズにこの演習を引き継ぎ、この演習を教育・研究・防衛力整備等にスパイラルに反映してゆくという姿勢もうかがえた。以上はこの演習を陸上自衛隊が如何に重視しているかの証左と感じた。

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第15旅団創立記念日行事に積み重ねた隊員の献身を思う [名リーダーを思う]

始めに

表記記念日行事が平成28年11月20日那覇駐屯地で行われた。式典に先立ち沖縄県知事から第15旅団へ感謝状が贈呈された。その内容(要旨)は昭和47年創隊以来緊急患者を9000回空輸し、9300名の命を救った。35500件、重量にして延べ1730屯の不発弾を処理し県民の安全・安心に貢献した、というものであった。鹿児島県知事からも先月患者空輸に対する感謝状が贈呈された由。
前身の第1混成団及び第15旅団の真摯な使命遂行の輝かしい成果と沖縄県民の感謝と信頼が詰まっている、と感じた。この点につき感じるところを書きたい。

(注)実績は感謝状表示と異なり筆者の独断で概数表示した


1つ、第15ヘリコプター隊の活動について

当該隊が患者空輸を担当するのは鹿児島県・奄美大島から沖縄県全域の東西1000km、南北500kmの広大な区域である。その中に大小の離島があり、局地の気象はそれぞれことなる。緊急患者は時と所を選ばず発生するが、対応できる医療機関は主要な島に限られており、そこへの空輸が絶対必要である。その要請に応えられる機関は自衛隊に限られざるを得ない。何時如何なる時も出動し海を越え異なる局地気象を克服し、一刻も早く安全に送り届けなければならない、とそのための即応態勢を緩めず、訓練を怠らず使命を果たし続けてきた。命を救われた人やその身内及び関係者は自衛隊の献身への感謝と敬愛を事ある毎に口にし、言い伝え、その輪を拡げてきた。それを漏れ聞いたパイロット達は更に献身を誓い妻達は理解を深めた、という。それらが相まって今回の感謝状に繋がった。

献身といえば、切迫流産の危険性のある妊婦さんの空輸中にヘリ内での出産となり最短時間・経路を取りつつ安全飛行にも最大の注意をした話や潜水病の患者空輸に当たり大変難しい低高度飛行に神経を擦り減らした話も聞いた。遭難と紙一重の危険を顧みない使命遂行である

紙一重といえば2件の遭難事故でお亡くなりになった搭乗医師や殉職した自衛官の尊い犠牲があった。その霊の見守りも今回の感謝状に繋がった、と思う。霊を悼み且つ霊に感謝し再び犠牲者を出さない強い心があったればこそと思う。

2つ、第101不発弾処理隊の活動について

平成28年度自衛隊中央記念式典において第101不発弾処理隊の総理大臣特別表彰がれた由。平素の地道な職務遂行にも目を向けようとの官邸の意向らしい。画期的な事で陸上自衛官の士気も高揚し大変喜ばしい。

不発弾処理は危険との隣り合わせである。いくらベテランといえども信管の除去・不発弾の処理は極度の緊張を強いられ失敗が許されない。数十年地中にあって錆び付いていても生きているものが大部分。信管取り外し作業は鉄板や土嚢の囲いの中で行う。危険なものは住民を避難させてその場で爆発処理。第101不発弾処理隊は常時3名一組の3こチームを待機させ要請に応じ即応の実績を積み重ねてきた。該当地区の住民は不安に陥り避難や通行制限を余儀なくされ日常生活に大きな支障がでる。そして何より戦禍の記憶が蘇る。沖縄の戦後処理は未だ続いている。第101不発弾処理隊はそこに向き合い続け不安を和らげてきた。気がつくと県民とともに大きな安全・安心を築いてきた。それが今回の感謝状に繋がった。


終わりに

地理的特性から第15ヘリコプター隊の患者空輸の要請はこれからも続くであろう。沖縄の地中には米軍の航空機投下の爆弾や艦砲弾がまだ2500屯をくだらないという。第101不発弾処理隊への要請もこれからまだまだ続く。両隊の安全な使命遂行と沖縄県民の安全安心を心から祈りたい。最後に両隊の献身に現れている即応態勢・厳しい局面での旺盛な使命遂行意欲・高い練度は抑止の意味からも大きな意味を持つ、と付け加えたい。

以上


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