So-net無料ブログ作成
検索選択

第2施設群改編に思う [名リーダーを思う]

始めに

表記に関する編成完結行事が行われた。26日夕には群創立62周年記念祝賀会が改編祝賀会を兼ねて行われ、27日には改編完結式が群長大久保1佐の統裁で行われた。お招きを受けた私はこの改編をお祝いすると共に大きな寂しさを感じた。

今回の改編の主なところは365施設中隊及び366施設を廃止して401施設中隊を新編するというものであった。陸上自衛隊の創隊以来の大改革を推し進め南西防衛の実行性を高める一環であるという。

私は昭和42年4月飯塚駐屯地が開設した時に移駐してきた第2施設群108施設大隊第2中隊に3等陸尉任官とともに赴任し、1・3中隊で勤務し、1中隊長となり昭和48年7月大隊廃止に伴い新生第2施設群で320施設中隊長を務めた。新生というのは2こ大隊の群から3この施設中隊を基幹とする群に108施設大隊を母体にして生まれ変わったという意味である。従って大隊の3この(1から3)中隊は320から322施設中隊、365から367施設中隊へと繋がる母中隊である。

その後昭和63年7月から第18代第2施設群長となった。というわけでこの両中隊の廃止と401施設中隊の新編には格別の思いがある。このめでたい時に新生2施群発足当初の歩み(出発点)を踏まえたエールを贈りたい。

1つはパイオニアとしての誇りを持って欲しい

新生第2施設群発足時までは施設部隊は災害派遣や部外土木工事を行って国民に愛される自衛隊となるべくその先頭を走ってきた。
東日本大震災・原発事故での立入禁止3km圏内の捜索活動では空挺団に先駆けて同区域に入り進入路を整備した。国民の理解を劇的に深める大きな一助となった。やがて米ソ冷戦の終結とともに国際秩序は乱れ、安定した安全保障環境作りのための国際貢献が重きをなしたがそこでも施設部隊は先頭を走ってきた。今後どのような時代になっても施設部隊はパイオニアとしての役割が求められることは確かだと思う。

2つは貢献の心をもっともっと磨いて欲しい 

飯塚駐屯地開設のため第2施設群隷下の第108施設大隊は昭和31年の新編から昭和49年7月に幕を閉じるまでの18年間に103万立方mの部内工事を行った。その内飯塚駐屯地を作るための部内工事は36万立方m、ホーク訓練場は46万立方mであった。合計82万立方mで、実に80%が飯塚駐屯地及び高射のための工事であった。東日本大震災・原発事故での3km圏内の活動は危険を顧みず身を挺して責務を完遂する貢献・献身の極致であった。

施設は誰かのためにの部隊であり、真の勇気が常に試される部隊である。


3つは戦技を究めて欲しい

中国の台頭と共に南西防衛が大課題となった。今や施設部隊の拓いた道場で腕を磨いた高射(中SAM)や地対艦ミサイルは第1列島線に睨みを利かす決勝兵器である。これらを護り機能を発揮させる築城等はとても大事である。又離島奪回のための障害構成や揚陸支援もとても大事である。大きな問題はあるが是非クリアーして欲しい。

この際、現場の声がストレートに反映される陸上自衛隊・防衛省・日本国であって欲しいと切に願う。
 
終わりに

ここで東日本大震災・原発事故の3km圏内の2施群の活動に戻りたい。2施群の隊員はどんなに疲れていて気分が悪くても、腹が減っていて食べ辛くても、食事の時タイベックスを決して外さなかった。また瓦礫積載時、粉塵が舞う場所ではマスクは必ず着用した、という。以上は改編祝賀会で、当時367施設中隊の小隊長として現場を経験し、廃止される365施設中隊長を経て今回401施設中隊長となるH1尉から伺った話である。基本を守る真に精強な部隊であると感じた。

401施設中隊は365及び366施設中隊の心を受け継ぎ、400番台の頭号中隊として、そしてまた南西防衛の要として、新たな気持ちでスタートして欲しい。第2施設群全体としては大久保群長を核心として更に精強2施群を目指し頑張って欲しい。課題クリアーのため群挙げて厳しい訓練が必須であるが基本をしっかり行う精強な部隊であり続けて欲しい。
以上









nice!(0) 

『探偵ナイトスコープ』で超巨大長靴(ながぐつ)を製作したシバタ社員の心うたれる裏話 [名リーダーを思う]

始めに

 九州朝日放送で平成29年2月11日2445~表記が放映された。

 そのあらすじは「大阪に住む身長195cm、体重155kgの男性英語教師(或いは関係者であったかもしれない)が父の農作業を手伝うため長靴を作って欲しいと同番組の探偵に訴えた。同探偵はシバタ社を探し出し、依頼の為本人を同行して来社した。技術部の佐伯さんと履物事業部の程野さんは作った事のない大きさに困惑しつつも引き受けた。1回の採寸で2週間後に現場の田圃へ持参した。待っていた男性はその場で履いて田圃へ入リ喜んだ、製作担当の二人は胸を撫でおろした。」というものであった。

 視聴後、私は製作を担当された二人の放送されていない苦心談をお聞きしたいと思った。きっとあるはずと思った。やがてその思いはお二人にお話を聞かせて頂き叶えられた。お聞きした苦心談は目から鱗であった。

物凄いプレッシャーに打ち克った

 依頼者とのコンタクトは採寸時の1回のみ、納品は2週間後現場で、という制約があった。従って一回採寸のデータを頼りに作らねばならない。その上(本人とコンタクト出来ないので)作った靴の足合わせが出来ない、更に他の人に頼もうにも大きすぎて試し履きをする人がいない。納品の模様はTVで現場中継されるので失敗出来ないという物凄く厳しいプレッシャーがあった。

 そしてそのプレッシャーは以下の3つの問題で限りなく増幅された。1つ、大きすぎて、「シューフィッター」(後述)専用のメジャーで測れない、専用の型紙に収まらないので微細なデータが取れない。2つ、大きすぎて製作用の型がないので型作りから始めなければならない。3つ、今シバタ社にある最大の32cm用の型を基準にすると重心が後ろになり(踵重心)履いた時後ろに反り返り、農作業に不便である。


二人の紹介

 製作を担当した二人のうち技術部の佐伯さん(写真左)は唯一人の特注品担当。顧客の色々なニーズに応えて来たシバタ社ならではの熟練の職人さんである。もう一人の生産部履物生産技術課の程野さん(写真右)は顧客のニーズに応える「シューフィッター」の資格を持つ足と履物の専門家である。
 程野さんがデータを掴み、佐伯さんが作る。途中でキャッチボールをしながら製作した。

IMG_20170310_133127 二人.jpg

足のデータを掴む

 先ず程野さんの採寸、足のデータ掴みから始めた。しかし、「シューフィッター」専用のメジャーでは(メモリ以上のサイズであり)測れない。足の下に敷く専用型紙に収まり切れないので正確で微妙な形が掴めない。仕方がないので普通の捲き定規で最大限に正確な長さや幅を図った。形はカーペットの上に普通紙を置きその上に立って頂いて掴んだ。そのへこみや足の汗の付き方で足全体の形や指の形・間隔等を掴んだ。固い床の上だったらこうは上手く行かなった。足の甲の高さやふくらみなどは目視で目に焼き付けた。足のサイズは94~5cm。

型を作る

 長靴は型にゴムを張り合わせて作る。シバタ社にある長靴の最大の型は32cmである。従って型作りから始めなければならない。この型作りが難題であった。32cmの型に継ぎ足して程野さんが採寸したデータと眼に焼き付いた形状をここはこう、そこはそうと伝え、佐伯さんが柔軟性のある可塑性の材料(名前を聞き漏らしたので)で形を作り上げて行った。

 程野さんの「シュ--フィッター」としての見極めの眼とそれを形にする佐伯さんの職人の技夫々の冴えがあった。

踵重心を正す

 踵重心を正すには長靴を置いた時の立ち姿に履いた人のイメージを重ねて靴底の高さ、踵の高さを決めなければならない。どのくらいが良いかは佐伯さんの職人としての勘そのもの。特に今回のように超メジャーなお客様は佐伯さんをもってしても勘を働かせるのが厳しかった。結局は32cmの靴底に画像の指差し点の厚さの踵底を張り足し、お客様にご満足頂いた。

IMG_20170310_133342探偵踵.jpg


履ける長靴を作る

 最後に足が入らなければ駄目、そうかといってだぶだぶでも駄目である。結局佐伯さんは2種類の大きさの中敷きで調整できる範囲(の誤差)で仕上げた。即ち小さいほうの中敷きで履き具合をみてまだ余裕が有れば大きいのに変える。将にたった1回の採寸で足合わせもない、試し履きもない状況でこの精度の製品を作り上げた。

IMG_20170310_133547 探偵中敷きsyukusyou.jpg

終わりに

 お話を聞いて、与えられた条件の下でベストを尽くしてニーズにあうものを作りだし顧客満足を達成しようとする高いモノ作りのマインドと現場力を感じた。苦心・苦労に立ち向かい克服する姿に会社へのロイヤリテーや自分への誇り等諸々の真実があると感じた。

 見間違い、聞き間違い、記憶間違いで不正確な記述があるかもしれない。その節はお許し頂きたい。

 以上
nice!(0) 

琵琶湖で行われた第4施設団漕舟競技会を見学して思う [名リーダーを思う]

平成28年度第4施設団戦技競技会の一環である漕舟競技会が平成29年3月1日大津駐屯地に接続する琵琶湖で行われ見学の機会を頂いた。感動を頂くと共に思うところがあった。その様を書きたい。


概要

団の競技会として初めての試みであった。漕舟競技会とは渡河ボートを操りその速さを競うことである。人員は15名以下と決められており、櫓をこぐ人、櫂をこぐ人、指揮をする人等で構成されている。この競技に求められるものは櫓や櫂を操作する技量、舟長の指揮、チームワーク、気力・体力そしてなにより必勝の執念であり、各中隊等のより一層の一体感を強めることにあると思われた。

IMG_20170305_122856縮小.jpg


IMG_20170301_132146 琵琶湖2周目イン競技風景縮小.jpg


団隷下で6ケ駐屯地(豊川・富山・岐阜・大久保・和歌山・三軒屋・出雲)に所在する部隊の中隊又はこれに準ずる部隊である全18ケ中隊等が参加した。

競技は1周1300mの3角コースを1周目は右回り2週目は左回りする2周約2600mのコースで行われた。参加18チーム中、6チームずつの予選を行い、タイム順に上から6チームで決勝が行われた。

結果は第7施設群304水際障害中隊(和歌山)が優勝した。2位は第7施設群381施設中隊(大久保)で、最初に出遅れ1周回ったところで2位に浮上したが取り返せなかった。予選では2チームの力が図抜けたタイムを出していた。1位は381施設中隊で2位は304水際障害中隊(和歌山)であった。決勝では逆になった。

IMG_20170301_130130 琵琶湖スタート縮小.jpg 

IMG_20170301_131120_1CS 琵琶湖2周目イン.jpg


最高の施設魂の見せ場がここにある

競技間、最初にトップに立ち最初のコーナーをうまく抜けてするすると走り切った304水際障害中隊を目で追う事が多かった。目で追いながら、このコースの特長を見事にとらえた作戦とそれを実行できる力を持っていると感じた。

勝利の要訣はスタートダッシュとコーナーリング。長丁場を考えて力をセーブせず最初に全力を出し切る。密集に巻き込まれずに頭を抜け出して有利な位置からコーナーに入る。船足を落とさずにまわり終わったら一挙に加速する、遠周りせずに最短距離でコーナをまわり次への有利な位置どりをし次に向かう。

船がコーナーでぶつかり合う様はまるで船の格闘のようである。怯んで船足を落としたり遠周りすると脱落する。まともにぶつかり合いに巻き込まれるとおいて行かれる。その嫌な試練が5回ある。たんなる技量としての操舟力だけではないものがこの場には求められている。最も見ごたえのある施設魂である。


戦技を思う

昭和50年8月の豪雨や台風6号で石狩川が決壊した時、江別市周辺は広範囲に水没した。この時に活躍したのが当時志方2佐が率いる第102施設大隊(岩見沢)であった。この時沢山の渡河ボートが濁流をものともせずに走り回っていた記憶がある。戦技と名の付く理由がここにある。施設部隊として任務達成に直結する技が戦技である。

心手期せずしての域を目の当たりにして

シバタ工業株式会社の新入社員の体験入隊を大久保駐屯地にお願いしている。昨年主に教えて頂いたのは漕舟であった。(参照:ブログ「陸上自衛隊大久保駐屯地の教育関係者がシバタ工業株式会社新入社員の体験入隊で魅せた教える力に思う」)今回の見学で当社社員も戦技としての漕舟の奥行きの深さというか本物を知ることが出来た。陸上自衛隊に体験入隊をお願いする意義を再確認出来た。

この様な機会を頂いた団長小林 弘樹陸将補始めお世話を頂いた司令業務室の皆様に心からのお礼を申し上げます。


2位の381施設中隊について一言

決勝ではスタートで出遅れて5位、第2コーナーで3位、3コーナーを回った(2周目に入った)ところで2-位に上がった。この格闘漕舟の中で順位を上げるとは!相当の漕舟力があると感じた。勝敗は時の運、あきらめない敢闘精神に敬意を表したい。良いものを見せて頂いた。

以上





nice!(0) 
メッセージを送る