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陸上自衛隊大久保駐屯地の教育関係者がシバタ工業株式会社新入社員の体験入隊で魅せた教える力に思う [名リーダーを思う]

始めに 

平成28年6月14日~16日、表記体験入隊が、102施設器材隊(隊長金田2佐)特殊器材中隊の担当で行われ、16日午前には総合訓練が行われた。その総合訓練を見学した私は教育関係者の教える力に脱帽した。更にシバタ新入社員の奮闘にも脱帽した。体験入隊という場で教える側と教えられる側、双方向の真剣な触発の関係があったことに大きな感銘を受けた。

1つ、目標としての総合訓練

各班に与えられた課題は渡河ボートを自分達だけで漕ぎ、示されたコース(全長約500m?)を安全に、(出来れば)他の班より早くゴールすること。前日19時に課題が示され、各班は班長を中心に任務分担、ボート内の配置、当初の準備、コース上で発生するであろう問題点対策などを話し合った。被教育者は23(女性7含む)名の3ケ班編成。指導陸曹1名乗船。

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前日15日朝から、渡河ボートの取り扱い・運搬、舟具の取り扱いと連結、ろやかいなどを使っての漕法を習った。15時以降は班ごとにより正確に、早く動かすための各班毎自主的な補備訓練を行った。


2つ、教える力

施設部隊の隊員は幹部であろうと曹士であろうと施設基礎作業について、そのコツを会得している。それは指導のコツでもある。隊員に対しては心手期せずしての域に到らせる厳しい指導が当り前である。そんな当たり前に馴れた自衛官だからさぞかし、と思ったら違っていた。即ち目指すべき総合訓練ありき、の厳しさではなかった。担当部隊は器材隊の特性、漕舟、を発揮することを基本に、被教育者の学ぶ意欲、習得度等に応じ複数のメニューを用意していた。申し出側のニーズに最大限応えるため、安全を厳しく追求するのは同じだが、限られた時間で被教育者がチームとして渡河ボートを自在に操れるようになり、達成感と自信を得る。その一点に集中し行うべきことや内容を絞り、目指すべき形を探った。全員共通して教えなければならないもの。ある程度適性のある者に絞って教えた方がベターなもの例えばろの操法等(の難しいもの等)の区分けをした(ようだ)。その上で出来ると思えば高いレベルを。そこまでに到らないと思えば総合訓練もやらないしやってもタイムは競わさない。班全員の安心・安全の度合いによりボート乗り組みの指導陸曹を増減する等を考えスタートした。

やらせてみると意欲も高いし、習得も早い。伸びしろも期待出来、考えていた一番良い形で出来そうだと指導陸曹全員の意見が纏まった、と前日15時教官田中曹長は初対面の挨拶をする私に嬉しそうに自信を持って語ってくれた。

3つ、総合訓練の実行

16日0900、指導陸曹の模範漕法展示。並べてある操具を係留してあるボートに積み込み連結・固定、全員配置に着き、竿手はおもてはなし離岸、ヨーソロで漕ぎ出す。一糸乱れず
水上を滑るように走る。狭い水路部も意に介さずあっという間に折り返し、ゴール。ボートを係留して全員が上陸し、ゴールラインを跨いで終わり。以上の全行程を陸上から並走しつつ食い入るように見学。

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上記を手本に、いよいよ3ケ班が順次スタート。最初にスタートした班は全員が力を合わせ元気でスムーズに漕ぎきった。えっ!こんなにうまく出来るの!と感動!

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訓練が終わった者は全員並走しながら応援していた。そのなかの一人に尋ねた。「どうしてあんなにうまくいったの?」「わが班は1名少ないので、誰かがやってくれると思ったら絶対に駄目。自分の持ち場は完璧に果たそう、と誓い合った。昨夜の打ち合わせ終了後、不十分と考えた者は夜遅くまで反復練習した。他の者はサポートした。その成果です。」


他の2ケ班は滑りだしはちぐはぐな動きがあったり、狭い水路のため両岸に(意に反して)ぶつかったりと苦戦の様子であった。しかしそれだけにこえを掛け合い励まし合う姿は感動的でさえあった。後半は必死のかいがあって飛躍的に練度が上がり何等見劣りしない域に到達した。



1日前には渡河ボートのとの字も知らなかった者がここ迄出来た。笑顔で終われた。終わった者が全員実施中の班に並走しながら応援していた。その姿は仲間を気遣う一体感が溢れていた。新入社員の奮闘に篤いものが込み上げてきた。良い体験入隊にして頂いたと感謝の思いでいっぱいになった。

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教官サイドが考えた一番良い形を自らの力で勝ち取った新入社員(無意識にシバタの看板を背負って??頑張った)に脱帽。総合訓練ありきではなくワンパターンではない厳しさで被教育者の力を引き出した教官サイドの教える力に脱帽。

終わりに

総合訓練終了後、教官田中曹長が全員に語った言葉が印象的であった。「我々自衛官は災害派遣の現場等では出来ないとは言わない。一刻でも早く一人でも多く助けるために、一人で駄目でも他の人と知恵や力を合わせる。皆さんもこれから会社では多くの困難にあうでしょう。しかし出来ないとは言わないで下さい。一人ではない。仲間がいます。知恵や力を合わせた今日のことを胸に刻んで今後に活かして下さい」。
陸上自衛隊はコツ伝授だけにとどまらない、"ハート"をこそ最も重視している、としびれた。

























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国連アフリカ施設部隊早期展開プロジェクトへの講師派遣壮行会に思う [名リーダーを思う]

始めに

表記壮行会は平成28年5月25日、飯塚駐屯地で行われた。一行は翌日福岡空港から成田空港へ向かい、同空港からケニアへと飛び立った。講師要員は飯塚駐屯地所在の第2施設群の建設機械操縦の熟練者を主体に編成された17名(長は第2施設群3科長玉置3佐、内局?施設学校等からの3名を含む)。

お知らせを頂いたが壮行会に所用で出席出来なかった私は23日激励のため部隊を訪れた。そこで群長及び玉置3佐の話を伺い、誇りと自信に溢れた言動に"流石2施設群”の思いを強くした。激励への群長の御礼状(写真も添えられていた)を見て、書きたい、思いが強くなった。

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この写真のように笑顔で大活躍をされ無事で家族のもとに帰ってきてください。

1つ、講師派遣事業の概要等

(平成28年5月24日防衛省からのお知らせより)

1つ目、事業の全体像
国連フィールド支援局が実施するアフリカ施設部隊早期展開プロジェクト(Project for Africa Rapid Deployment of Engineering Capabilities ; ARDEC)の一環で、平成28年6月6日からケニア共和国において実施されるケニア国軍の施設要員を対象とした施設活動に必要な重機の操作要員育成のための訓練に、陸上自衛官17名を講師として派遣する事業である。なお、国連は8月~10月の間、本年2回目の重機操作訓練を行うことを予定しています。

2つ目、背景及び経緯
近年の国連平和維持活動においては、施設部隊の装備品(重機)やそれを操作する要員が不足しており、人道支援等の活動や要員の安全確保に大きな支障が発生しています。こうした課題を解消するため、2014年9月の国連PKOハイレベル会合において、安倍総理からこれらの装備品及び要員が迅速に任務を開始するための貢献策を表明しました。
 これを受け、我が国として、国連に対して重機の調達や訓練の実施に必要な資金を拠出するとともに、昨年ケニアで実施された試行訓練に11名の陸上自衛官を講師として派遣しました。本年においても引き続き防衛省から講師を派遣することとなりました。
 
3つ目、訓練期間
平成28年6月6日~同年7月29日

4つ目、派遣先
ナイロビ(ケニア国際平和支援訓練センター)

5つ目、教官要員
玉置宏行3等陸佐 以下17名

6つ目、事業内容
ケニア国軍の施設要員に対する施設活動に必要な重機の操作や整備の教育

2つ、”流石2施設群”と感じた点

1つ目、大部分の教官を2施群でまかなう自負と誇り

今回は部隊ではなく個人の出張という形ではあるが遠く離れたアフリカケニアの地で、国家を背負う事業、大部分の講師派遣を単独部隊でまかなう。こんな光栄なことがあろうか。今まで多忙に負けず、人員削減に負けず、地道に錬成してきた結果がここにある。それだけの人を育てて来た。2施群は凄いんだ。俺はその代表なんだ。その自負と誇りが伝わって来た。大いに力を発揮して頂きたい。

2つ目、現地のニーズを大方把握しきっている自信

玉置3佐はケニアを訪れ事前調査をされた由。加えて自身の研究調査も加味して、現地の事情に精通し何を、どう為すべきかを自信をもって篤く語られた。国家が頼りにする自衛官、がここにもいる。自衛隊は人材に事欠かない、との思いを強くした。


3つ目、本当に役立つことは何かを突き詰める姿勢

施設作業、建設機械を操縦しての作業には”コツ”がある。施設科隊員はその”コツ”をマスターしている。その”コツ”は教育指導の”コツ””でもある。今回その”コツ”を文書化したマニュアル(英語版)を作成しているらしい。自衛官の教えが資料でも残り、ケニアでの錬成普及により一層役立つに違いない。そしてなにより日本人の役立ちたい、の思いが残リ伝わることに大きな意味を感じる。


以上




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今年のマイ花菖蒲パート6(H28) [マイファーム雑感]

始めに

6月8日、明日から出張で留守。当分花菖蒲は見納め。多分留守の間にピークは過ぎると思うので感想を書きたい。

1つ、今年の咲きぶり

北菖蒲畑はこんなもん

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南菖蒲畑はやや見劣り?

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群れ咲きのピークに親しんだ目にはそう映るかも。


西溝は昨年並みの咲きぶり

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株分けして、これだから評価できる。

東溝は昨年よりとても見事な咲きぶり

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2つ、感想

1つ目、株分けの後遺症

昨年は群れ咲きがピークであった。(今年のマイ花菖蒲パート5(H27)参照)。株が最高に肥大していた。兎に角咲き終わったら次の年に向かって手入れ、手入れ。1年かけて心を込めた。最初はわけが分からなかったが段々コツがわかって来た。しかし、どのくらい手抜きすればどうなるか、が分からないままの駈け歩であった。

昨年は株分けをし、肥料も化成肥料は控えめにし、有機はもみ殻だけにした。この結果が今年であった。

2つ目、株分け後の残りを株毎、溝に置いた

なんと置いたままにしておいたのに、(物置小屋の横、奥の方)この咲きぶり。強い生命力に感服。

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3つ目、すぎなの根のはびこりは半端ではない

菖蒲畑に限らず地中深く、冬の間も根を張り続け、春先以降あっという間にすぎなが繁茂した。とても手が回らない。特に菖蒲畑は掘り起こさないので好き勝手にされている。その影響が南菖蒲畑に最も顕著に出ている。


4つ目、東・西溝の菖蒲の根がじっくり定着した

すぎなの根と戦いつつ、その結果が今年表れている。

5つ目、咲きましたよ、と報告を受ける

昨年株分けをした近所の方が畑においでになり、咲きましたよ。白と薄紫が。一株で5、6本茎がでて、蕾もだんだん大きくなって、そのうち先の方から白い小さな花が顔を見せました。この前通りかかったら水かけをしておられたので私も大急ぎで帰って水をたっぷりやりました。嬉しくて、と報告をうけた。花菖蒲とかかわることをこんなに喜んで頂いて、しかも伝えて頂ける。月瀬八幡宮でも、飯塚駐屯地でも咲いたようだ。この喜びは何物にも代えがたい。
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花菖蒲の花便りにひかれて [マイファーム雑感]

始めに

昨年株分けし、(無理やり)貰って頂いた花菖蒲が咲いた、という風の噂にひかれて6月6日夕方、月瀬八幡宮(中間市底井野)を訪ねた。折しも宮司さんご夫妻で広い境内の草取りの最中。そろそろ見えるころ、と花菖蒲の周りも草取りを済ませた由。


花菖蒲が厳かに咲いていた

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参道の階段の上り口を右手へ。気のせいかマイファームよりは厳かに咲いているように感じる。

昔、湿地であったところに土を入れた、との事で水気には困らぬらしい。また手前には戸畑アヤメが勢いよく茂っていた。昨年、差し上げるとき現地を見せて頂き、戸畑アヤメをここまで(奥様が)丹精されたご様子に、絶対育てて頂けると思った。何せ私は戸畑アヤメに2度挑戦して駄目だった苦い思い出がある。同級生のしんちゃんの寄贈らしい。二人に縁のある花がここに集まって咲く。

昨年、私のマイファームの傍を何度か二人で通りすがりにご覧になった由。花びらが大きくてとても見事、とお褒めのことばを頂いた。株分け時、誰に貰ってもらおうか、と考えたときその言葉が自然に浮かんだ。貰って頂いて本当に良かった。しかも自分の楽しみで育てた花菖蒲が今や神苑で咲く!。人生の仕上げの時だな、と昂ぶった気持ちで帰途へ。

帰りに木戸の掲示が目に入った

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銀杯草が今盛り。親戚のおばさんから一株頂いたのが始まり。可憐さ、清楚さが好き、と宮司さん。そういえば庭の雰囲気にもあっている。ここまで育てた丹精と合わせ見事。ここ月瀬八幡宮は宮司さんそして奥様の人柄で人が集い、風も、鳥も。そして花も集まる。

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鹿の子ユリの蕾見つけた

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遥か昔から、なんでも宗像氏のころからここ(斜面)一面に咲くらしい。纏わる話もありそうだ。銀杯草同様木戸を一般開放しているそうだ。7月が楽しみだ。



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熊本地震”本震”発災時の迅速な部隊集中に思う [名リーダーを思う]

始めに

4月16日未明、熊本地震”本震”、大災害発生。翌17日夜明けとともに阿蘇市、南阿蘇村一帯に進出した陸上自衛隊各部隊は被災地のニーズに即応して捜索・救援、被災者の生活支援等を本格的に開始した。この中にいた第5施設団はこの僅か1日間の不規遭遇という悪条件にも拘わらず、関係部隊の迅速な当該地域への集中に大きな貢献をした。特に上下各部隊との連携とそれを最大限に活かした指揮官の指揮(決断)について大きな感銘を受けた。

以下は第5施設団広報関係者の話を基に想像を交た、そう間違いはないと信じる、感想である。見当違いがあればお許し願いたい。

第5施設団長の気働き

発災時日出生台演習場(大分県湯布院町・玖珠町)春の定期整備を担任(4月13日~)していた第5施設団は「すぐ救援活動ができる編成・装備で直ちに熊本へ向かい前進」、との命を受けた。状況は全く不明。直ちに演習場整備を中止し全員非常呼集、すぐ出発態勢をとった。軽装備の本隊は団長直接指揮で先遣、重機類は後続の区分で出発した。

やまなみ道沿いに偵察班を先行させ本隊は走りながら、情報入手しながら前進。最初から頭を悩ませたのは「何処へ行き誰とコンタクトすれば良いのか、そのため最も情報が得られるところは何処か?」であった。それを見極めないと団全部隊が漂流若しくは無意味に滞留する。その間にも部隊(クルマ)は容赦なく進み、熊本(県)へと近づく。方面幕僚長から携帯で情報提供「地域の状況が一番分かるのは阿蘇地域振興局」。有り難い前進目標はこれできまり。

次第に判明する情報、確立される指揮組織。阿蘇地区と熊本市内周辺地区は遮断されている模様、阿蘇地区は第4師団長担任。第5施設団は第4師団長の指揮下に入り、阿蘇市と南阿蘇村付近へ向かう。全国から詰めかける部隊の中で該地区に一番のり。となれば、その部隊としてやるべき事がある。

師団長からの命令・指示「大分県から進出する後続第40連隊(福岡県北九州市)を阿蘇市と南阿蘇村付近へ投入する。貴職は地域割を調整せよ、任す」。阿蘇地域振興局で状況を掌握し、被害の規模・特性、部隊の装備等を考慮して、40連隊を阿蘇市担当として受け入れ、第5施設団は南阿蘇村役場長陽庁舎に転進した。到着後町長さんとコンタクト、実情把握し要望を聞き行動開始。

更に師団長からの命令・指示「別府港に上陸した第13旅団(広島)を南阿蘇村付近へ投入する。貴職は受け入れを行え」。2000名の大部隊、到着は夜半。早速7ヵ所の集結地(宿営地)を当局と調整して選定。進入部隊をそれぞれの宿営地に誘導した。一口に誘導と言っても細心の気配りと周到な準備が必要。第5施設団自らが転進して被災地のニーズをつかみ即応すると同時に宿営地を選定し、(今夜以降の)活動拠点を準備しなければならない。しかも第13旅団の受け入れ申し送りの準備もしなければならない。更に西部方面隊全般(統合任務部隊全般)の施設作業や部隊運用の責任幕僚としての機能、施設調整所の開設運営、も果たさなければならない。もう一つの(駐屯地司令としての)役目、小郡駐屯地における追走業務及び北海道からの派遣部隊に対する補給支援等もある。団長の気働きの凄さは十分想像がつく。23時到着した旅団長に被災地の実情と活動概要及び今後の方針などを簡単に報告。事後旅団長と共に南阿蘇村役場に出向き町長に担任交代を報告した。

第5施設団は先遣として不規遭遇戦に見事勝利した。

修親6月号巻頭言で意を強くした

上記巻頭言「すべては国民のために」で岩田陸上幕僚長は『(前略)「本震」発災以降における各方面隊等からの迅速な戦力集中及び被災地到着後におけるニーズに合致した支援活動は、平素からの即応性の維持、そして部隊としての活動能力が高い状態にあることを証明してくれた。(以下略)』と述べている。ここが私の一番感銘を受けたところで、纏めとしたかったところである。第5施設団の例はほんの一例であろう。このほかに凄い働きをした部隊が沢山いることは間違いない。この巻頭言でそう確信した。
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