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今年のマイ花菖蒲パート5(H27)ー株分けして飯塚駐屯地へ [マイファーム雑感]

始めに

9月17日新隊員後期課程教育修了式が終わって、飯塚駐屯地長田曹友会長に案内していただき、圓林群長も同行されて、とある場所を訪れた。そこには株分けしたマイ花菖蒲が植えつけられていた。こんなに大事にして頂いて有難うございます。きっと咲いてくれるでしょうね。来年6月の開花が楽しみですね、と思わず口にした。

そして帰りに長田会長から数枚の写真を頂いた。厚生センターに掲示してある由。その写真を目にして、心底喜んで頂いている、と直感、感激した。

1つ、ここに至る経緯

マイ花菖蒲の群れ咲きも今年がピーク、今年は株分けを本気で考えねばならない。どなたか貰って頂けるところはないか、と春先の芽が出始めた頃に心積りを始めた。3月7日の2施群創隊60周年記念日行事で偶々この話を圓林群長にしたところ、駐屯地に櫻以外の花があっても良い。花菖蒲は何かと縁起が良い。花を愛でる心は優しい心の表れ、真の強さにはこの優しさが必須。隊員の情操上もよろしい、と大変乗り気で駐屯地司令(星指陸将補)の了承を受け、飯塚駐屯地曹友会に話を付けて頂いた。群長の本気に背中を押され、8月5日駐屯地夏祭り時に、試しに100株を持参し、現地を見させて頂いた。現地一帯はもともと湧水があり、昭和40年頃はマムシ谷と言われていた湿地であった。その現地確認で水を好む花菖蒲生育に適したところとの確信を持てた。従って後日、曹友会の方々で植えつけて頂いて様子を見ることにした。

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長田曹友会長は大変積極的に検討され、植え付け場所も決定。話が一挙に具体化した。

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そしてパークゴルフ場周りの側溝に曹友会の方々の手で植え付けされた。

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2つ、この話にはロマンがある

来年6月には揃って開花して欲しいと思うと共にこの話が進んで行くにつれ、ロマンを物凄く感じた。

1つ目、菖蒲は邪気を払い、尚武に通じ勝負の勝に通じる

花菖蒲は凛とした立ち姿や咲振りの見事さから邪気を払う、と信じられ、甲冑に模様を施された例も多いという。駐屯地・隊員を邪気から守り、精強さが求められる武装集団として尚武に通じ、又勝負(の勝を得る)に通じ、縁起が良い。

2つ目、毘沙門天さんのご加護がある

駐屯地の北にある日陽(ひなた)山普光王寺には毘沙門天さんが祀られている。仏様を守る四天王の一人として邪気を払う役目があり、武を役目とする自衛官にはご利益がある。また七福人の一人で福徳増進のご利益もあると信じられている。この日陽山からの湧水が植えつけ場所一帯にはあると昔から言われて来た。この霊験あらたかな水で育つ花菖蒲の恵みは毘沙門天さんのご加護そのものである。昔から2施群の新年の訓練始めは毘沙門天参りが伝統である。花菖蒲を無事育てご加護を確かなものとして頂きたい。

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3つ目、隊員の憩い・安らぎに役立つ

花菖蒲の花に隊員が憩いや心の安らぎを感じ、厳しい訓練の息抜きをして明日への活力を得て情操豊かな武人、真に強い武人としての成長の糧となる事を願っている。

4つ目、曹友会の活躍場

曹友会の皆様の積極的な働きに、曹友会ならではの力が発揮される最たるものではないか、と思えてきた。駐屯地の環境美化や活性化を格段に向上させるよう頑張って欲しい、と願っている。

終りに

飯塚駐屯地で花菖蒲が生き続けるなら、この花菖蒲を愛で育ててきた多くの人の心が伝わり続ける事を意味する。私もその一員としてリレーの責任を全う出来ればこんなうれしい事はない。マイファームでは株分け後の花菖蒲たちがすっきりして静かに来年を待っている。(写真は北菖蒲畑)。

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第2施設群新隊員後期課程教育修了式に思う [名リーダーを思う]

始めに

平成27年9月17日表記修了式(執行者群長圓林1佐)が飯塚駐屯地で行われ、今年7月からの教育を終え巣立つ隊員の溌剌さを目の当たりにして私は感慨深いものがあった。というのも、私は49年前(昭和42年)に同課程教育を飯塚駐屯地第2施設群・第108施設大隊で教官として担任した。その当時を懐かしく思い出し、今を思うところが大であった、からであった。

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不易流行

49年前と同じカリキュラム・精神。違うのは教官や班長・助教と新隊員の組み合わせだけであったが漂っている雰囲気は同じであった。施設科隊員としての必須である施設基礎作業等の各科目を習得させ戦技体力錬成に加え精神要素も鍛える。この同じ教育が営々と続けられてきた意味は重い。群長賞や教育隊長賞が授与され、射撃や体力優秀者なども紹介された。任務を行動して果たす者に相応しい頑張る者やよく出来るものが讃えられ、励みとされる。これも同じだ。会食時の代表隊員のスピーチでは初めての爆破科目で爆薬を手渡され不安に心と体が震えた話や教官・班長へのユーモアを交えた感謝の言葉など充実した実相が垣間見えた。これも同じだ。各種災害派遣や国際貢献で顕著な施設科隊員の仲間意識、没我支援の精神の基礎はここで養われるのだ。

創業守文

私が担当した教育は飯塚駐屯地に第2施設群が移駐した(昭和41年2月)翌年、52名であった。当時筑豊の地に自衛隊・施設科部隊が誘致されたのは産炭地振興の為と言われていた。移駐して来た我々の使命は内に此の地を練武の地とし心のふるさとにする。外にあってはこの地の発展に(施設ならではの)貢献をする事だ、と移駐記念碑の(表記碑文)を前に先輩から言われ、私も同じことを新隊員に諭した。だから諸官はそのつもりで励めとも付け加えた。

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彼等の多くは筑豊地域での多くの部外工事に従事し、部外行事等に参加して、或いは住み着いた地域で野球やバレーなどの課外活動を通じ地域の一員を自覚しつつ、地域発展への貢献をして来た。

当時の自衛隊を取り巻く環境の中で多感な若者を心底理解し、励まして元気づけ地域に溶け込ませ成長させて頂いた地域の方々への感謝とこの地が好きだ、との多くの言葉も耳にして来た。

更に西方管内の部内外工事も担当し、本来の精到な訓練を積み重ね、心と体と技を磨いた。駐屯地にあってはホーク部隊の移駐に伴う駐屯地整備工事や受け入れ、西山訓練場の取得や整備工事などを担当した。重い務めではあったが心を合わせ没我支援の精神でこなした。今の駐屯地発展の礎を創った。

彼らの中で筑豊を永住の地と定め、施設隊員として忙しく過ごした体をこの地で休める者もいる。孫の成長を楽しみにしつつこの地の発展への思いを託している。創業守文の体現者と言えようか。
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小郡駐屯地・第5施設団創立記念日、訓練展示に思う [名リーダーを思う]

始めに

表記記念日が平成27年9月12日に行われ、出席をした私は記念式典終了後の訓練展示に大きな感銘を受けた。災害出動をテーマにしたものであったが始めて目にしたと感じる位にインパクトがあり一味もふた味も内容の濃いものであった。その様、特に私の心に響いた、を書きたい。

1つ、災害対処訓練の大テーマ

①受付で頂いた記念行事プログラムの表紙の最上部に大書し、ちらしの右上に『つなぐ』とあった。自衛隊*消防*警察を全力でつないで地震災害に立つ向い、一刻の猶予も許されない被災者の命をつなぐ(リレーする)意、と解した。②シナリオの特色及びキャストも簡明にチラシに記載してあった。

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2つ、災害対処訓練の流れ

震度7の地震発生に伴い初動はやはり自衛隊。ヘリでの空中からの広域偵察で被害状況を把握する。焦点地域はオートバイ偵察、ジープは道路寸断の為、ダメだ。その結果、倒壊した橋(①)。倒壊した建造物(②)。瓦礫の下敷きになった車(③)。瓦礫に覆われた倒壊家屋(④)が明らかになった。

倒壊した橋(①)は偵察結果(その諸元等報告)を受け、自走架柱橋が速やかに架けられた。

倒壊した建造物(②)の下敷きになっている人を発見。直ちに自衛隊独自での救助を決断すると共に久留米消防署の救急隊(車)の出動を要請。自衛隊が保有する災害救援セットを使って迅速に作業。該救急車は警察の先導のもと架設橋を通って急行し救出された被災者を救急病院に搬送、命を一刻の無駄もなくつないだ。


瓦礫の下敷きになった車(③)に重傷を負って閉じ込められた被災者を発見。高度技能が必要、と自衛隊は即断。直ちに久留米広域消防本部にKURUME SUPER RESUCUEの出動を要請、該隊の到着前に自衛隊は瓦礫の除去作業を実施し円滑に着手出来る気配り処置。

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到着した同隊は間髪を入れず直ちに切断作業に掛かる。

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共同作業で救出,

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その程度を救命隊員は高度医療が必要と即断。これを受け、自衛隊ヘリが急派。すぐさま準備及びホイストを共同で実施し、患者空輸。バトンは自衛隊に渡され、一刻も無駄にせず被災者の命をつないだ。

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倒壊家屋(④)に人が居るかいないか不明。しかしいそうだ、には救助に当たる者の想いが伝わって来た。『助けて下さい』、『助けたい』の思いをついなぐ想いである。それはサイレントタイムの設定、会場全員が主催者の指示で沈黙、ではっきりした。

『誰かいますか』の声掛け、かすかな合図の物音を聞き逃すまいと真剣に聞き入る隊員。物音が聞こえた。すぐさまその音に『大丈夫ですよ、すぐに助けますからね』と安心させる隊員。サイレントタイム呼びかけの意味が漸くわかった。その場にいるものは全員共同で瓦礫の除去作業。その間も声掛けは続く。ついに救出。久留米消防署の救急車で搬送。居合わせた者が全力で思いをつなぎ、一刻の無駄もなく命をつないだ。ここは会場全員に対する啓発のための設定、と理解。

3つ、心に響いた事

1つ目、こんなに丁寧で心の籠った災害対処訓練を初めて目にした

前項で流れを思い出す限りに克明に書いたのは、不十分さは重々承知であるが、丁寧さを伝えたかった為。この丁寧さの陰には自衛隊と消防と警察の心のつながりがあった。地域の人に、この機会を利用して真の安全安心を届けたい。地域の持てる力を全部つなげる事でその答えを創り出したい、との思いのつながり、である。そしてそこには弁えた自衛隊の心があり、それに応える消防・警察の心の節度あるつながりがあった。それらの丁寧さの総和が迫力となって私の心を激しくうった。

2つ目、地域の安全安心を担う者のつながりの必要性を痛感した

いつ起きるかしれない大災害への心と体とものの備えは、災害列島日本ではそしてのど元過ぎればすぐに忘れる日本人の特性からも、地域の安心安全を担うものの重要な使命である。そういう意味でこの日の訓練が将来に向っての拡がりの新たな起点となる、様な気が強くする。これだけの事が出来るつながりを築いた相互理解や信頼こそが地域全体の財産だと信じるので・・・。

3つ目、自衛隊の底力に限りない安心を覚えた

一歩下って、謙虚にこの訓練を企画し実現した第5施設団の問題意識と熱意、地域の人と共に歩む自衛隊の在り方模索、に限りない安心を覚えた。と共に現下の安保法制が行き着く先での本来の使命を限りなく果たす、何処までも精強で戦えば必ず勝つ頼もしい、しかし国民に対しては何処までも謙虚で優しい自衛隊の真姿が浮かんできた。


4つ目、施設職種はその時代或いはその時と場所において常に途を拓くパイオニアであり続けて来た

自衛隊創設期は『愛される自衛隊』、やがて『信頼される自衛隊』、『国民と共に歩む自衛隊』、『日本ならではの国際貢献』等そのスローガンは遷ってきた。その時代或いはその時々の国家が求める途を先頭に立って拓いてきた、のは施設職種であった。その静かな誇りが全く新しい今回を創った。

終りに

本当に心をうった、心底ものを思わせられた訓練展示であった。このような素晴らしい大仕事の核心であった秋葉新団長と企画し実現させた篤い担当者(大西第9施設群長 以下の方々)及び関係部内外関係者の心のつながりに心からの敬意と感謝を申し上げたい。

追記

会場でのホイストは昨日(9月10日)の常総市における鬼怒川堤防決壊。流れ出す濁流にえぐられいまにも流されそうな民家に孤立した被災者の陸上自衛隊第1飛行隊によるホイスト救出とダブらせて見ている自分がいた。事に望んでは身の危険を顧みず身を挺して責務の完遂に努める自衛官の崇高さに思わず昨日同様涙が出てきた。現場にはほかにも数十m離れた家屋の屋根の上や隣の家屋の中で或いは電信柱にしがみついて救助を必死に待っている人もいた。何故あの家屋から、かは救助9分後に濁流に家が飲み込まれてしまったことが其の適切さを物語っている。加えてこの時救助に向かった隊員は『大丈夫必ず助けるから』と大きな声で安心させた、という。現場の隊員の積極果敢さに加え判断や被災者への目線の冷静沈着さ及びいつ来るか分からないいざに備える覚悟の積み上げ並びにそのいざに迷いなく行動する、その確かさに敬服した。平素の教育訓練の健全性が輝いた瞬間であった。

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