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第2施設群創隊60周年記念行事に思う [名リーダーを思う]

始めに

平成27年3月7日(土)、表記行事が行われた。記念式典(群長圓林1佐)は14時から飯塚駐屯地体育館で、祝賀会は場所を移し野上プレジデントホテルで17時から行われた。節目の記念日とあって多数の来賓が参集し、隊員も晴れやかで、盛会であった。式典で壇上に上がった私はそこから見える光景に思いが拡がった。その様を描きたい。

歴代群長を代表し挨拶する為、式典の壇上に立った時、ざっと見、平成3年当時の半分くらいの勢力に映った。この勢力であの赫赫たる成果・・・、隊員は本当によく頑張っているのだ。心を込めてエールを贈らねば・・・、と思った。その思いで大要以下の話をした。

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1つ目、先ずはその偉業の一端

2施群は凄い、流石と思う点について以下の3点を述べた。

①、東日本大震災を機に国民の90%以上が自衛隊は必要だと認識するようになりました。これは皆さんの活動に依る所大であります。中でも私は事故を起こした原発から3KM圏内での2ヶ部隊の活動に注目します。空挺団と2施群です。空挺団に先んじて進路を啓開し、未知の放射能の恐さの中、ここにおられる山下29代群長を先頭に、一丸となって進んだ皆さんの姿に痺れました。事に臨み身の危険を顧みない職務遂行は劇的に国民の意識を変えました。国民の意識を拓くパイオニア、皆さんはその先頭にいたのです。

②、数回のPKO派遣活動を通じ、国連からPKO工兵活動マニュアルの作成を依頼されました。又カンボジア・モンゴル・東チモールへの能力構築支援の依頼も為されました。皆さんのPKO活動は非武力による安定した安全保障環境作りの大きな柱に育ちました。私は南スーダン4次隊帰国歓迎行事での梅本隊長の言葉が忘れられません。南スーダンの軍要人が訪ねてきて日本隊のやり方・技術を教えて貰うにはどうしたら良いか尋ねられたという事でした。これは現地目線、丁寧で質の高い作業を行った皆さんの活動があったからです。この発言を引き出した皆さんは国の宝だと思いました。国益作り、の大いなるパイオニア、それが皆さんです。

③、昨年11月中旬私は奄美大島を訪れました。そこで目にしたのは古仁屋港での水際障害処理中隊の団長訓練指導。節子での第2施設群長の訓練検閲でした。地域の暮らしのど真ん中での真剣勝負に感動しました。これからの南西防衛の在り方を示す座標軸、と思いました。皆さんはそれを示したパイオニアです。そして龍郷町では岸2尉以下の整備隊が40数年ぶりの部外工事を規律厳正に行っていました。陸自空白地帯への新駐屯地建設が愈々動き出す時、皆さんは自衛隊の真摯を身近に伝え民政安定に貢献するパイオニアとして大きな働きをされました。

誰よりも先に未知の困難・危険に向き合い、国民に一番近い所で、色々な“みち”を拓く。皆さんは時代を拓くパイオニアです。唯すべては施設作業に魂を込める事から始まります。その先は神みぞ知る、ではあります。改編を控え、更なるPKO派遣も予定されています。パイオニアとして又群の一員としての誇りを胸に、これらに立ち向かって下さい。園林群長を核心に精強2施群であり続けて下さい。

2つ目、忙しさに流されないか

話ながら、群長の座を去って24年、自衛隊を去って17年。勢力の激減に今浦島太郎の感じがした。この間、数次の陸自改変に伴い施設部隊は人員を削減されながらも機械化・省力化などの機能向上を図り続けて来た。一方重大災害の頻発や国際貢献活動の本格化で施設部隊はその存在意義を益々高め続けた。削減されながら一方では活動の場が拡がり、拡がる事により国民の期待度は高まった。その高まりが又活動の場を広げる循環となっている。そのような背景で今、施設群は縮小改編が進められている。2施群も例外ではないらしい。私の時代でも忙しかったが今の忙しさは比べようもない。更に忙しくなる?その忙しさに部隊や隊員は流されてしまわないか?と私の胸中に漠とした懸念のようなものが芽生えた。無意識に答えを探す自分がいた。

・・・儀式における部隊は威容に満ち、隊員の目には力があり、動きは力強い。儀式を離れた隊員は明るく屈託がなく、何処にも不安の兆候は無い。・・・祝賀会場で配られたパンフレットと群長の「お礼の言葉」の中にその懸念に対する答えのヒントがあった。

1番目、お礼の言葉ーニーズに応える改編

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見にくいので引用「(略)第2施設群は自衛隊が発足当初からあり、時代のニーズに呼応するように変遷してまいりました。これからも新たなニーズに対応すべく部隊は改編されていくと思いますが、我々群所属隊員は、諸先輩が築き上げてきた歴史と伝統を深く心に刻み、未来の第2施設群にもしっかり引き継ぐ所存であります。(略)」

ニーズに対応した改編がキーワードなのだ。

施設部隊は与えられる(求められる)ニーズに対応しつつ、新しいニーズに適応すべく衣を変えてきた。時代に応じ与えられる(求められる)ニーズには不安や多忙感がつきものだった。しかし先輩方は意欲や知恵を出して乗り越えて来た。それはある意味宿命的であった、と言える。なぜなら施設部隊は日本・防衛省・陸上自衛隊のニーズの中で枢要な地位、例えば時代を拓く、を占め続けており、重みが増すことはあっても減る事はない状況に置かれる、のが常であったから。要するに施設に対するニーズとその対応の歴史”に思いを致し、新たなニーズに応える知恵を汲み取る事だと気づいた。即ち(私自身の)心の持ちようなのだ・・・。

群長の言葉「ニーズに応える改編」が私の認識を分明にした。園林群長の言葉には深みがある。今浦島の私の懸念が杞憂に過ぎない事を自得した。

2番目 「第2施設群隊員心得」

要するに心の持ちようだ、と気付いた私の心に次なる答えのヒント、知恵が飛び込んできた。祝賀会で、園林群長がお礼の中で「第2施設群隊員心得」に触れた瞬間、にである。

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見ずらいので引用。「第2施設群隊員心得」「一 互いの個性を尊重し強い絆を保持すべし」「一 礼儀正しく規則を守り身だしなみを端正にすべし」「一 精強無比なる二施群魂任務は必ず遂げるべし」「一 施設の技術先駆けて不断に技を磨くべし」「一 輝く偉業を受け継いで新たな橋を架けるべし」

最初の2項目で部隊活動の基礎(団結・規律・士気)と個人の充実に関する、絆と倫理観・遵法精神を詠い。次の2項目で目指すべき普遍の価値、任務必遂と施設技術の練磨を詠い。最後の項目で伝統継承と未来へ引き継ぐ意識、未知の問題解決と創造の精神を詠っている。

60周年記念日を期して、この「心得」を検討作成し、先だって6日に伝統継承式を行い、誓いを新たにした。伝統継承式では該「心得」をお披露目して全員で唱和し誓いを新たにすると共に、その証を未来へメッセージとしてカプセルにして埋め、「心得」の額を中央玄関に掲示した由。

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心に響いた事

祝外会の会場で群長の説明を聞き、懇親の間に私の心に響いた事を書きたい。

①今まで、今、そしてこれからの2施群と隊員の為に本気で何かをし全員の心を一つにする。その肝心要(かなめ)が第2施設群隊員心得」である、と群長の本気が伝わって来た。

②その何かについて、忙しさに流され自己と部隊の在り様を見失わないよう、足元を見つめると共に将来に備える覚悟、更に拡大するニーズや改編でより忙しくなる事態に対しての、を見定める強い眼差しを感じた。

③60周年という節目を期して何かをするんだ、との前向きの強い思いが伝わって来た。

④『第2施設群隊員心得』について、今まで、今、将来を貫く不易流行たる2施群及び隊員の精神の在り様を全員が心を一つにして集約したものである。だから肝心要なのだ。

⑤伝統継承式は先だって(分離して)行い外向きのパフォーマンスにはしない、との秘めた思いも強く伝わって来た。


この知恵が活きないはずはない。この本気が隊員に伝わらないはずはない。これもまた前述今浦島の私の杞憂を吹き飛ばした。

これは、意識改革の大きな1歩である。陸自全体が大変革を控えた今、すべての部隊がその大波を被る。それをどう乗り越えるか、の一つの答えが真摯に、前向きに取り組んだ第2施設群長圓林1佐の本気の中から見えてくる気がする。

註 「2施群隊員心得」の余白の乱れた字は祝賀会において圓林群長から(お礼の中で)該「心得」の紹介があり、その重さに気づいて大急ぎで書き留めたメモである。

終わりに

僅か半日の間で、懸念を抱き、気づきが得られた。群長の”本気”に触発された気づきであった。私にとって、本当に心に残る、簡素優芯な記念日であった。貴重な、節目の記念日に立ち会わさせて頂き感無量である。篤くお礼を申し上げたい。第2施設群に光栄あれ!

追記

伝統継承式の写真は行事終了後の群長からのお礼状に添えられていたものである。この写真の植樹が気になった。問い合わせてみると月桂樹である、という。月桂樹は月桂冠でお馴染みのように、栄光や勝利を意味する。私は大いなるロマンを感じた。心得5ヶ条の誓いをカプセルにして埋め、後世のメッセージとし、2施群の成長(栄光や勝利)を月桂樹の成長に託し、今の隊員から未来の隊員へと全てが関わって守り育てる。2施群最先上級曹長(曹・士の束ね役)武本准尉の発案である、という。夢やロマンで課題を語り、皆で知恵を出し合う第2設群に光栄あれ、と再び祈る。

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国連PKO工兵活動マニュアル完成に思う [名リーダーを思う]

始めに

防衛省HP『国連平和協力活動ー各活動の取り組みー現在活動中の取り組みー国連PKO部隊マニュアル作成の取り組み』に、H26年12月2日、表記部会(加盟23ヶ国と4ヶ国際機関、議長;陸上幕僚監部施設課長石丸威1等陸佐)を含む11のマニュアル作業部会が国連への報告会に臨み、すべての作業を終了した。とあるのを認めた。先ずは無事大役を果たされ、おめでとうございます、と申し上げたい。

平成6年カンボジアPKOを送り出した時、まさか、と思っていた海外派遣が現実のものとなり、もう少し若ければ、と胸を躍らせた事が昨日のように思いだされる。そして、自衛隊のPKOは本来任務となり、今や積極的平和主義の大きな柱に育った。今回の工兵マニュアル作りは単なる11部会の一つを担当した、にとどまらない。非武力で世界の安全保障環境作り(改善)を日本がリードする本格的幕開け、の象徴的出来事ではないか、と思う。大げさかもしれないがそれぐらい大きなインパクトを感じる。自衛隊が積み上げたものの大きさと歩みの確かさに改めて敬意を表し、各施設科部隊を訪問した際に伺った話等をベースに私の感想を述べたい。陸自PKOの更なる発展を願う観点から、多忙過ぎる(益々任重くなるであろう)施設科隊員の皆さんへのエールと国際舞台で発言力ある人材育成の目標は如何に(参考事項)、の2点を述べたい。


一つ施設科隊員へのエールーなぜ陸上自衛隊に取りまとめの大役が巡ってきたのか

陸上自衛隊の施設(工兵)活動の評価が以下の2点で高かった。

一つ目、工事管理がきちんとしている。先ず、工程がしっかりしており、今全体のどのくらいの進度であり、遅れているのか進んでいるのか、遅れているとすればその原因は何か、がはっきりしている。次に、作業管理も人力・機械力・金・資材についていつどこにどれぐらい必要か、がはっきりしている。最後に、品質管理も納期に遅れることなく、心を込めた丁寧な作業で、目標水準に合致した規格を見栄え良く仕上げた。更に安全管理においても周到で派遣開始から1名の犠牲者も出していない。

二つ目、目線を低く、現地の人のニーズに合わせ、ともに作り上げる姿勢が現地の人の共感を呼んだ。特に施設科の若手幹部は部外工事の作業隊長を経験する。若いときに親部隊から離れ独立して、部外の自治体等を相手に全責任を持って作業任務を遂行する。いやでも地元目線が身につく。この身についた所作が海を越えても役立った。

以上の二つは国連PKOのどの現場においても得てきた評価である。PKO20年間、一度たりとも隙を見せない誠実さ、勤勉さなどで、積み上げてきたゆるぎないものである。多くの国や国際機関などが日本のPKOをお手本と考えている。

その評価を裏付けるように、最近では日本・陸上自衛隊に見習ってPKO派遣をしたい、と教えを請う国も出てきた(能力構築支援)。日本が最初に支援したカンボジアやモンゴルなどがそうである。カンボジアはPKO派遣の、モンゴルは工事管理などの国土開発につながるノウハウや人材育成等を陸上自衛隊に学んでいる。陸上自衛隊は主として施設学校がその教育を受け持っている。

日本・陸上自衛隊への高評価と尊敬がPKOマニュアルの取りまとめ依頼につながった。

二つ、発言力ある人材育成の目標は如何に(参考事項)ー議長職遂行上役立った事は何か

なんといっても一番参考になるのは、石丸課長の議長職務遂行上役立った事であろう、と思う。という訳で、以前石丸課長にお聞きした事を私なりに以下のように纏めた。①、PKOの枠組みが分かっていた事。②、工兵(施設)活動について経験を通じ理解出来ていた事。③、経験を通じ、国際協調・会議のセンスが磨かれた事。④、英語が苦手ではなかった事。以下の内容は私が知り得る石丸課長の経歴などを元に作文したものである。間違いや見当違い等があればお許し願いたい。

一つ目、PKOの枠組みが分かっていた事、について

経歴上多方面からPKOにかかわった。モザンビークPKOでは輸送小隊長。イラク復興支援群復興支援隊クエート分遣隊長として1000ヶにも及ぶコンテナの受け入れ輸送等の輸送業務調整、イラク復興支援PKOではサマーワ宿営地の設営隊長、ハイチ復興支援PKOでは先見調査チーム長等の各種経験及び中央即応集団司令部防衛部長としてPKO派遣全部隊の掌握・活動支援業務等を通じPKO全体の枠組みの理解が深まり、今回の多様な場面の工兵活動を考える上で役立った。

二つ目、工兵(施設)活動について経験を通じ理解出来ていた事、について

施設大隊の小・中・大隊長、施設群長として各種施設活動に従事し施設作業・施設科部隊の運用・施設業務などの習得。施設学校研究員として施設科部隊運用や施設活動のあり方などの研究調査や教範作成。陸幕施設課の建設班長・課長として建設部門の行政、施設活動に伴う器材行政等の知識を深めた事などで具体的なイメージが浮かび又洞察力も働いて、今回のようなマニュアル作りに役立った。

三つ目、国際協調・会議のセンスが磨かれた事、について

座間分とん地での米軍との日常的な交流。日米共同訓練(協同実働訓練や共同指揮所訓練)等の参加や各種国際会議・セミナー参加を通じ米軍工兵活動等への理解が深まると共に国際協調・会議のセンスが磨かれた。その事が今回の国際会議の議事進行や取りまとめに役立った。

四つ目、英語が苦手ではなかった事、について

小平学校の普通・上級英語課程を修了しているので、通訳なしでも言い回しの難しい軍事・工兵用語の相互理解に不便を感じなかった。

終わりに

石丸課長は防衛研修所での研修(学生)の時、卒業論文に国際貢献を撰び、英語ゼミで留学生と意見交換しながら論を練った、という。恐らくこの経験も議長職遂行に役立ったに違いない。志を持って歩むその方向性こそがすべての基本であり、経験に無駄はなく、専門バカよりも多様な経験の方かより活きる、を総まとめの感想としたい。

以上
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ある夫婦のリーダーとしての生き様ー信じて見守り、背中で育てる [名リーダーを思う]

毎年、私は教え子10人程との一泊旅行を楽しんでいる。新隊員と教官のご縁が出来て50年余り、集まりは今年で29回目。その中で大きな感動を受けた事がある。5年程前(平成10年)、会場のホテルへはSちゃんの車に同乗させて貰ったが、その道すがら聞いた話に、である。

「息子夫婦が全く自分達だけの力で家を建てまして!!」
「息子さん何歳?」
「30歳過ぎです」
「お嫁さんは?」
「同い年です」

「若いのにしっかりしとるやん、感心やね」
「そう、自分達は何の援助もしとらんとです。ほんとお祝いをしただけですね」

「・・・でも、頭を真っ白にさせられたことがあったんですよ」
「どんな?」

「息子が19才、専門学校生の時出来ちゃったんですよ。相手は同い歳の会社員。未だ独り立ちできない二人、若気の過ちでは済まされない、本人達にも、私たち夫婦にとっても大きすぎる出来事でした。」

「・・・で・・・」

「本人は本気、産みたい、専門学校をやめ、土木作業員をする、ときっぱり。」
「親としては将来の事も考え、専門学校は続けさせました。相手の子は務めを辞めて貰い、我が家で一緒に暮らすことにしました。翌年子(孫)が産まれました。丁度この頃私も定年になり、再就職をしました。その後息子も卒業し近くに就職をして、我が家から通う2世代同居生活が続きました。」

「そして本人たちが頑張って自力で家を建てたんです。自力で自立(自活)してくれ、会社でも信頼され仕事を任せて貰っているようで有難い事です。」

「自立(活)までのサポートは世間一般や他の二人の兄たちとは違う関わりとなりましたが全然気になりませんでした。要は子供一人一人が自分に相応しい幸せな人生を送って欲しい。それが親の願いでありますので・・・。又このように関われる事、特に息子夫婦の成長を見守れ、孫と一緒に居れる事は我々夫婦の喜び・楽しみでもありましたので・・・。」

「当時の決断、ここまでの歩みのどれをとっても、女房がいなかったらこうならなかった、と思います。よい女房に巡り合えて感謝です。」

ここで話は終わった。
(モット話を聞きたいが、Sちゃんの意にまかせて・・・と私)
「Sちゃんも凄いけど奥さんも凄いね、いつか機会があったらお会いしたいね」と私。

本年(平成15年)2月某日、恒例の旅行の日、私はSちゃんの車に同乗させて貰った。途中、Sちゃんの自宅でお茶を頂くことになった。その”いつか”が偶然やってきた。

奥様にお会いして、リビングでお茶を頂きながら、その時の事を不躾かなと思ったが、ついたずねてしまった。

「ちょうどこのソファーで主人と二人でテレビを見ていました。息子が何度も2階から降りてきたり、上がったり、うろうろしていた、のが気になった居ました。」「ふと気が付いて後ろを見るとソファーの後ろで此方向きに正座していました」「何ね?」と驚いて問いかけました。」「息子の話を聞くと、その重大さに頭が真っ白になりました。どう向き合えば良いか、何をどう話せばよいか、全く分かりませんでした。」

「漸く主人が口を開き、”どうするとか”、と本人に聞くのが一杯でした。本気を確認しただけでその日は終わりました。」「その後は二人で、”本人達本位で、前向きに考えてやろう”とだけ話すのがやっとでした。」

「翌日には相手の娘さんに会いました。とても確りしてしかも明るくて、感じが良く、この人なら息子は大丈夫と思いました。」「確りしているのはわけがあって高校時代某強豪高校ので陸上の選手でした。」

「この見立てに間違いはなく、子育てを確りしながら”介護福祉関係の資格”を取得して自分の生き方、働き方を拡げました。流石、息子は良い嫁を見つけたと思いました。」

「翌々日位に相手の親御さんも心配しておられるだろうから、と伺いました。そこで、心配をおかけしたお詫びや本人達本位で、を腹を割って相談させて頂きました。若し私たちが断ったらお母様は引き取るおつもりで会われたことも分かりました。このおやごさんに育てられた娘さんなら大丈夫と改めて思いました。」

「其の後は兎に角若い二人や生まれてくる子に幸せな人生を送って欲しい、の一念だけだったですね。実の子同様な娘も出来、その上可愛い孫も授かる訳ですからそのうれしさは何物にも変えられない程強かったので・・・。普段の生活では距離が近いですが、それだけに信じて見守る気持ちを大切にしました。」

休憩の時間はあっという間に過ぎ、別れを告げ、家を後にして会場へ向かった。その道すがら再びSちゃんの話を聞いた。

「私もこの話を聞いた時、定年半年前、次が見えない事もあり不安を抱えてましたが、この関わりが励みとなりました。再就職の勤め先も定年(延長も含め)まで勤めましたし、その後再々就職も出来ました。いずれの会社も重宝して頂き、楽しく生き甲斐を持って務めています。余暇に20数年近く続けている野球の審判も大きな大会をまかされるようになりました。あの時本人達本位で、前向きにとらえて良かった、と思っています。少しは私たちの親としての生き様を見せられたのかな、と思っています。」

「長い間ソフトボールのエースピッチャーとして活躍した私の影響で3人の息子たちは自然に少年野球を始めました。ソフト引退後もその息子たちと同じ関わりをしたくて、別の姿を見せたくて、始めた野球(最初はソフトの審判研修から始めたが3年ほどして転向)の審判でしたが、ある時二人に増えた孫が息子、ここでお話している、に連れられて、審判中の私に”おじいちゃん”と駆け寄ってくれました。驚きましたがうれしかったですね。」

「その時、息子も隣の球場に野球の試合があってきていたのです。息子はある野球強豪高校のレギュラーだったのです。大学からの誘いを断って、卒業と同時に猛烈野球も卒業しました。専門学校卒業後就職した会社に野球部があり、そこで楽しんで活躍していましたので・・・。」

終わり
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